翻訳のサンプルを見る機会と作成する機会の両方を短期中に味わった。
見る側の視点を活かして作れば多少は有利だろうか。
見る機会があったのは英文和訳の2人分。
取引実績のない相手を評価するため各人に送ってもらったサンプルとの由。
特に原文を指定したわけではなく、見せられるものを送るよう依頼したものらしい。
と考えると、普段から仕込んである売り込み用の訳例があるものと期待する。
きれいに訳せたと思うものを契約に触らない程度に加工して構えておくはずだ。
まして特定の専門分野の実績を云々するには相応の見本を用意していることだろう。
加工ついでに見栄えを修正しておいても誰も責めはしない。
実力の100%を超えるぐらい有利なものが出せるのではなかろうか。
ところが、訳文を一瞥しただけで却下したくなる節が複数あって驚いた。
・日本語としておかしい
・文の用途に照らしてあり得ない
・係り結びが離れすぎている
原文は英語屋でない私でも読解できる程度の簡単な構造だった。
念のため採用権者にも自分の解釈で合っているか確認したが間違いないという。
「で、どう思う?」と訊かれ、首を振るよりなかった。
専門分野で実績を積んだプロと主張していてこれはなかろうと。
原文と提出期限が指定された試訳ならまだしも、いずれも自由な条件でだ。
もう一つ皮肉なことに、料金を安く提示してきた人のほうが上手だった。
これでは翻訳(業)の価値が疑われても抗弁しがたい。
それから半月後、自分がサンプルを提出する立場に。
上記の経験を踏まえ、加工の際にだいぶ修正を入れた。
修正箇所の多さに複雑な気分だったが、ともあれ完璧を期して作ったものを送付。
すると提出サンプルそのものの評価に言及のないまま試訳課題が送られることに。
「一瞥して落とすには当たらない」ぐらいに評価してもらえたのだろう。
これまた「急ぎませんのでお手すきの際にでも」と提出期限の指定はない。
読みやすさと伝達性のバランスを見る、とだけヒントが与えられた。
伝達性(正確さ)にはそこそこ自信がある。問題は読みやすさ。
読みやすさには客観的指標が立てにくいので、戦略を固定することにした。
決めた路線からぶれない、というだけでも一種の読みやすさは提供できるだろう。
費やす時間は結局いつもの業務と同等にした。
期限ぎりぎりまで頑張って品質を作り込めという考えもあるようだが、敢えて。
「実際の業務受注時に提供できる品質を見せる」主義を通した。
幸い気に入っていただけたようだが、評価を見るまで内心かなり冷や冷やしていた。
対外的には発していなかったかもしれないが、偉そうな言動をした自覚はある。
できれば尊大にならないで済むのが一番とは分かっているが…。
数えるほどであっても認めてくれる存在の有り難さをせめて噛み締めよう。