所謂お盆を郷里で過ごしたのは13年ぶりになる。
父の一周忌と新盆ぐらい顔を出さないわけにはいかない。
故人が無宗教を自称していたため、戒名をとらずどこの檀家にもなっていない。
そのため檀家の方々より先に法要を済ませる変則日程と相成った。
一周忌も本来9月だが、日程が近すぎるため併せてお経を読んでもらうことに。
和尚さんとの調整が10日についたとのことで、「盆棚」の設営は8日になった。
玄関先に掲げる高灯籠と祭壇両脇に吊り下げる大提灯は(母が)断った。
当地の風習では2m近い提灯に戒名を記して飾ることになっているが、戒名がない。
また、高灯籠はそこの家が新盆であることを広報する機能のためやはり不要だった。
あまり大々的にやりたくないという家族の意思で「じゃんがら」も呼ばず。
供花はできるだけ遅くということで9日に納入してもらい、10日の法要に合わせた。
10日は近親者にだけ集まってもらい朝10時からお経を聞く。
和尚さんが仏膳のご飯を一粒ずつその蓋に箸で移す仕草は初めて見た。
興味を持って見ていると、ほどなく読経が終了。
一周忌と併せて20分ないとは、あっさりしたものだ。
尤も、読経はしてもらうことに意味があるだけで時間の問題ではないが。
集まった人々と共に仕出しのオードブルとおはぎをつつく。
弔問客ならぬ見舞客の皆さんは慣習どおり13日から15日にかけていらした。
かれこれ約40人。
遠い親戚やら職場の人やらで母にしか顔と名前が分からない来客ばかり。
お茶を出して話を聞いているだけでよかったのだが、何組か失礼してしまった。
どうにもこういうとき役に立たない自分が歯がゆい。
それでも疲れるだけは疲れた。
誰とも会わずに成立する日常との差が激しすぎたせいか。
16日は盆棚を母と兄だけで片付けてくれたので、送り火だけ立ち会い墓所へ。
昼食をご馳走してもらった後は供物の一部を頂いて早々に帰浜してしまった。
いわきの最高気温が横浜の最低気温。
日の高いうちだったらヒートショックをおこしていたかもしれない。