英語アレルギー

翻訳業をしていて英語が苦手だと言うと笑われるかもしれない。
しかし事実、訳そうとして頭に浮かぶのは漢字ばかりで英字ではないのだ。
それでも英文を書かねばならないときはある。


母の頼みで何件かメールの日英訳と英日訳をした。
そもそもは電話だったのだが、電話で聞き取れる自信はさらさらない。
どうにか自分のアドレスを伝えてメールさせ、訳しては転送、返信を見ては訳し…。
そのうち双方の主張の単純訳ではなく状況を整理する役も回ってきた。
いかに事態を収拾するか、いかに双方を納得させるかが目的なのは分かっている。
できる限り元々の懸案が拡大せずに済むように、母の負担が軽くなるように、が目標。
状況を整理して英訳のプロに依頼しようかとも何度か思った。
しかし考えれば考えるほど、状況の整理だけで仕事の大半は終わっている。
要は訳出すべき実体が一番の問題なのだ。
何を「言っているのか」ではなく「言いたいのか」を伝えるのは翻訳の本質でもある。
ところが、言いたいことをそのまま伝えても、客観的に考えて事態は収束に向かわない。
意図、目的、気持ちは分かっているが、事態、現象が見えていないもどかしさ。
それでもどうにか言葉を紡ぎ、一応の納得は得られた。
最終的には和文英訳ではなく全くの英作文だった。
自分の立場と役割を踏まえて何が言えるか、何をどう言うべきか。
意外とそこに日本語「原文」の介在する余地はなかった。
だから英語は厭なのだ。
自分の頭ではごく直接的な物言いしかできず、相手を傷つけない方法が分からない。
(まあ日本語であっても対人技能に欠陥があるぐらいだが)
その上、事態が事態なので直接的な表現を選ばざるを得ない。
曲解を招く表現で無用に期待を持たせるのもこれまた裏切りに等しいからだ。
致し方ないということを致し方ないという温度のまま届けられただろうか。
否そこまで上等でなくてもいい、無理にでも納得してほしい。

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