知るための知識

古い上に初級なのだがシステムアドミニストレータ資格を持っている。
同業でも情報処理一種の取得者がいる中で決して誇れたものではないが。
持っていて役に立った、取ってよかったと感じたこともないが、実は役立っている。
いわゆる試験勉強をした経験そのものが、あらぬところで力を発揮するのだ。


何らかの事件、現象が発生して対処が必要なとき。
自分で解決できない場合は解決できそうな他者の支援を仰ぐことになる。
そのときに何をどう伝えるべきか。
所謂5W1Hを整理して報告文を組み立てよというのがべき論だろう。
ただそれも言うは易きのみ。
主語、問題の主体が何であるのかを正しく切り分けられるか。
発生時期はいつなのか、考えられる要因はあるか。
そのあたりを相談者から聞き取って技術者につなぐのがシスアドなる仕事らしい。
思えば一種の再解釈、翻訳みたいなものだ。
情報機器の操作という面でそれを実現するための前提がまとめられた資格。
資格があればシスアドなる商売ができるわけではない。
商売にできるかどうかはまた別の話だ。
まああらゆる仕事が商売になるなら会社員は要らないはずだがここでは措く。
相談者と技術者の間に立って右から左に情報を流すだけの仕事とも言える。
そこに情況の整理という作業が入ることに意義があるのだろう。
整理するにも最低限の語彙や文法のようなものは身につける必要がある。
問題を調べるためには必要な情報を取得するための知識が要る。
その過程が資格試験の参考書に載っていると今さら気付いた次第。
翻訳の前提にある語学力、専門知識なるものもそういう性質があるのでは。
あればいい、あれば食えるというものではない。
むしろあっても素人からは見えないことさえあるだろう。
だが普段はそれでいい。
処理内容が素人に分からなくとも、処理結果がきちんと伝われば仕事は成立する。
きちんと。
その定量化しがたい目標値ゆえに苦労することも争うこともある。
シスアドならば相談者の意向や悩みを詳しく聞き出すこともできるが。

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