鉄工所を営んでいた義父は数年前に自分の作業場を畳み同業の現場支援をしていた。
労働力を提供し日給計算で対価を請求する勤め人のような形だ。
ところが今月になって十数年ぶりに案件の受注があったという。
言わば勤め先のさらに客先からとある大物部材をまる一つ任されたようだ。
材料と図面のみ支給され、個別の部材は自分で作成。
図面で完成時の仕様は明示されるものの、加工手順や使用部材の指示はなかった。
そこは職人の経験と勘で解決するのだそうだ。
まずは類似案件から想定した手順で作業を進め、不都合があればその場で変更。
完全に任されている仕事なので変更そのもので他人に迷惑がかかることはない。
とは言え納期は決まっている。
試行錯誤で費やした時間の進捗を挽回すべく土日も作業に出て行った。
という話を聞いてぼんやりと浮かんだ言葉が工程FMEA(工程故障モード影響解析)。
各工程で発生しうる失敗や故障を見越して事前に手順を組み上げておく管理手法だ。
リスクの高い作業を回避する、リスクを見積もるための試験を挟む、なども検討する。
一見こちらのほうがスマートなようだが、必ずしもそうではない。
管理計画を作り管理するための工数を割くことが常に合理的とは限らないのだ。
得てして管理は作業を標準化し、個々の作業が誰にでもできることを目指している。
作業者の熟練度に応じて管理手法を変えるにも工数はかかる。
となると、大規模に何度も行われる作業に向いているということだ。
一方で前述の仕事は十数年ぶりという頻度、かつ熟練工が一人で対応する。
客先の指示が特になければ何をいつどう使うかのすべてが自分の判断だ。
そこにいちいち標準だの最新だの外部情報を挟む余地はない。
余地はあるのかもしれないが、少なくとも必要はない。
仕様と納期が守れれば過程が透明である必要すらないということだ。
客先が国際的大企業でも、ものによってはそういう仕事が存在する。
是非善悪の問題ではなく現実は現実。
くり返し性が低い仕事はむしろ管理のための管理を放棄した方が合理的かもしれない。
管理のための管理、管理のための道具、道具のための管理、…。
そうしたことを振り返るのも結果的には広義の工程FMEAになるのは当然か皮肉か。