違うけど同じもの

英語でもイギリスとアメリカでは表現が違うと言われるが、文字は同じだろう。
それが中国語に至っては大陸の簡体字とそれ以外の繁体字に分かれている。
両者とも日本語と共通の文字が何割かあり、固有の文字が何割かという構成だ。


本来なら大陸の人は簡体字のみ、その逆も然りで文章単位では片方しか使われない。
ところが何故か年に数件、文字種の混在した原稿がやって来る。
よその事業所で作られた資料を部分的にコピーでもしたのだろうか。
今回は簡体字原稿のはずのファイルで人名から社内用語まで3割ほど繁体字だった。
中国語も日本語のように漢字変換システムを使って入力されるが、文字種ごとに違う。
つまりある意味では別言語なので手入力には無用な手間が相当かかるはずなのだ。
そして無用な手間は翻訳の工程でも発生する。
読める人間が目視すれば同じ意味、役割の文字でも、機械的には異なる文字の場合。
機械的な検索を活用した効率化ができないのだ。
辞書やブラウザで意味を調べるにも一方の文字に揃えないと機能しない。
さらに各種ソフトの検索機能が意味を成さないので、訳語の統一などが手間になる。
昔の人はそんなものに頼らず紙の辞書とメモ書きでこなしていたのではあろうが。
正直なところ、それだけの工数に見合う報酬は将来にわたっても望めない。
一方で、別の会社から「台湾の中国語は訳せますか」という質問が来た。
和訳だけなら大陸ものでも台湾ものでも問題ないが、片方だけの人もいるのだろうか。
大陸の若い子は繁体字が苦手という話なら聞いたことがあるが。
日本人なら繁体字のほうが高校の漢文で親しんでいるのではと不思議になる。

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