兼業歴など

この日記は昔から公開しているので多少の言及はあったかもしれないが。
実家を出てから独立を決めるまで派遣社員やら契約社員やらとの兼業が長かった。
いまだに時折もらえる案件を除くと、ほぼ「パソコン番」で語学と全く関係ない。
全角文字列より数字のほうが多く目に入っていたのではという時期すらある。


新卒Uターン就職した先で適当に覚えたAccessが意外と長いこと飯の種になった。
Word/Excel/PowerPointは新人研修で教えてもらえたが、Accessは半分独学。
5年先輩の「師匠」が1機能1例ずつ示して「簡単だべ、やってみ」と教えてくれた。
操作そのものはほぼ言語を介さずなんとなく身につけたようなものだ。
できあがった代物を見て評価するというだけの扱いが有り難かった。
監修が厳しかったのはAccessデータベースそのものではなく取扱手順書。
文の構成そのものから書式設定まで、最初はあれこれ指導された。
ISO文書の管理担当部署だっただけに業務手順書には厳しかったのかもしれない。
いざ翻訳スクールに通うべく田舎を出た頃は派遣社員の時給が意外とよかった。
当時はAccessを使える事務職が少なかったらしく、就職の苦労が嘘のようだった。
コールセンター二次受けとして拾われたはずの職場でも何故か電話にはほぼ出ず。
「もっと面白い仕事あるけどやらへん?」と部長じきじきに職種を変えてくれた。
新たに任されたのはコールセンターの対応履歴データベースのお守り全般。
「こんな感じのんが欲しい」と口頭やメモ書きで作業を頼まれた。
検索機能やら画面やら内容は多岐に亘るが、そのあたりの判断は「適当にやって」。
既存データベースの仕様書もなかったのでデータベースを直しつつ書いていった。
転居もろもろで派遣先を変えてもAccessとにらめっこの日々。
基幹系(確かDomino)データベースの統計を取りレポートはExcel形式で出力。
データベースの構築というよりレポートの設計と半自動化が仕事だった。
社員さんがそのレポートを元に資材の発注などをしていたらしい。
その人が心を病んで倒れるあれな職場だったこともあり長居はしなかった。
次の仕事を模索していると勧められたのが「安いけど面白いですよ」という案件。
複数の意味で面白かった。
主業務は他部署の業務データベースから必要情報だけを抜き出して加工する仕事。
いかんせん立ち上げ途中だったので色々なものに巻き込まれた。
部署のパソコン番としてかわいがってくれる人も複数。
自宅に招かれて作業報酬は豪華ディナーなんてこともあった。
だいたい一連の業務に型ができたところで、やはり引継手順書の作成に着手。
流すだけの誰でもできる作業になってしまうと途端に飽きてしまったのだ。
ありつければ本業に近い仕事をしたいと願っていたので本腰ではなかった。
そして見つけた本業に最も近い仕事だったのは精密機器マニュアルの編集。
時給制ではなく月額固定給だったが、月給としては最高額だった。
編集は何なのかどころでなく、メールの書き方やものの頼み方なども習う。
客先に出向して業務を行う部署だったので内外の差が身に染みた。
外注先としてすべきことの線の引き方などが一番の収穫かもしれない。
ある製品のマニュアルがまとまって一段落した折に前の勤務先から電話。
勤務当時の担当者より格上の人と更にその上司から戻ってほしいと頼まれた。
後任が何かやらかしてしまい収拾が付かなくなっている由。
急な話なので派遣ではなく契約社員待遇とのことだが、これがまた安い。
歴代最高額と比較するせいもあるが、月給が半減してしまう。
「給料以外の条件は呑む」と部長が言ってくれたので一計を案じた。
まず電話に出ない権利を要求。環境の都合上、当然うやむやになったが。
庶務専任者を採用したので庶務業務は一切免除ということに。
しかし手取りが安いうえに一定時間で暇になることは目に見えている。
言うだけ言ってみるかと出してみた条件が、まさかの副業し放題。
派遣社員ならぬ直接雇用ゆえか意外にもこれが通ってしまった。
誰も気にしていなかったのか、ついぞ咎められることもなく。
業務ごと部署を移っても上司が替わっても、その条件は守られた。
尤も流石に翻訳ばかりで日を過ごすようなひどいことはしていなかったが。
大学が大阪だったので関西の街や沿線について尋ねられることも多かった。
「阪急って京急?」「とんでもない、東急です」といった具合である。
イコールではないが同質な存在を答えるのも一種の翻訳だったような気もする。
ともあれ問題が片付きシステムの拡張まで落ち着いたところでやはり飽きてきた。
上司に退職を申し出ると、「後任を探すの難しいから手伝ってや」ということに。
何度か採用面談に同席して、後から意見を訊かれた。
「…どうよ」「素敵ですね」「な、素敵やろ」
決まるときはこんなものである。
落とす理由がないというより、拾わない理由がないという感じだった。
その後任者とは1か月ほどみっちり引継をして、そこそこ仲良くなれた気がする。
当時の「本業」に近い業務でよそから外部委託として仕事をくれる人も現れた。
まるで無関係な帳票設計に呼んでくれた人もいる。
独立して自身が始めた仕事の手伝いをさせてくれる人も。
どれも単発と言えば単発なのだが、面白くもあり光栄にも思える貴重な機会だった。
また何かの折に思い出していただけたらな、と思いつつ。

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