マナーと信仰と葬式仏教

二七日法要に参列?してきた。
聞き慣れているものと宗派が違うせいなのか、経文が殆ど聞き取れない。
ちょうどお坊さんの手元が見える位置に座ったので眺めていると、
まあ聞き取れなくても当然かという文字列が並んでいた。
あれが日本語として聞き取れるセンスの人間はそうそういないだろう。

決してお坊さん本人や施主を侮るつもりはないが、法要の意味が分からなかった。
仏前に供え物を並べ、お坊さんを招いて読経してもらう形式しか理解できない。
故人を偲ぶでもなく法話を聞くでもない。
「あれは亡くなった人との距離を確認するためのお別れ会が何度もあるだけだから」
という解釈をする人もいたが、そういうものなのだろうか。
何度もあるお別れ会に粛々と顔を出すのがマナーということだろうか。
あいにく故人と親しくする暇がほとんどなかった私には、それもいまいちぴんとこなかった。


不謹慎にもよく思うのだが、仏様はあの経文を聞き取れるのだろうか。
古い中国語のような文法で並んだ漢字を日本語の音読みで発音されて、
インドにおわしました筈の釈迦如来に祈りは届くのだろうか。
それで分かっていただけるぐらいなら、日本語の平文口語でも十分ではないのだろうか。
「分からないが何となくありがたがっておこうか」だけで今まで続いている習慣ではないのか。
だとするとそれは仏教ではない土着アミニズムの形ではないかと気になってみたり。
カタカナ表記で外来語が輸入されそのまま使われる文化の土壌は仏教まで遡れるのかと訝ってみたり。
「分からないもの・知らないもの=神秘=ありがたい・かっこいい」が昂じてこうなったのか、
無難に前例をたどるのがよしとする振る舞いそのものが継承されてこうなったのか。


いわゆる葬式仏教なるものの原因は、その理解のなさにあるのではと思った次第。
法話を持たない宗教者と、教典を見ない信者。
しかもわざと両者は理解し合わないのではないかと。「ありがたみ」のために。

たかが「かな」?

Googleニュースで新聞各紙を斜め読みしてふと気づいた。
今をときめく国連事務総長「潘基文」氏の読み仮名が実は複数ある。
私はてっきり「パン・ギムン」で統一されているものだと思っていたのだが
日経では「バン・キムン」になっていたのだ。
気になって「潘基文」で検索してみると、外務省では「パン・ギムン」、JICAでは「バン・ギムン」
そもそも外国語の発音をカタカナで書き取ろうということに無理があるのかもしれないが
人名の読みを検索するときは下位結果まで見て最多のパターンを探さないと、という教訓になった。

幸い中国の人名は漢字表記のまま読み仮名なしで通用することが多いものの、
ごくまれに読み仮名を依頼されることがある。
例えば「胡錦濤」主席はたいてい「フー・チンタオ」なのだが「錦」は「ジン」ではないかと迷うときもある。
しかし、なまじ漢字表記のまま通用してしまっているがゆえに、それどころではなく
実用上「こきんとう」になっている場合が多いのではないだろうか。
滅多に見ないテレビのニュースでは「こきんとう」だった気がする……

個人とブランド

『自分ブランドの教科書』(藤巻幸夫)、『ブランドと百円ショップ』(堺屋太一)を読んだ。
どちらの本も題名に「ブランド」の文字が躍っているが、内容はほとんど関連がない。
前者は社会人(ほぼ勤め人)向け、いかに自分を高めるかの方法論が示してある。
後者は大局から世相を眺めたコラムの書籍化されたもの。
どちらが役に立ちそうか、より心に響いたかといった印象はない。
私が一番「面白いな」と思ったのは奥付の違いである。
前者には当然のように著者略歴が載っている。
有名人なので知っている読者も少なからぬいるだろうが、ちゃんと書いてある。
反して後者、著者について一言もない。
これがブランドですね、わかります。

すぐそこにある危機

午前中に何件か用事を済ませて、最後に夕飯の材料を買おうとスーパーへ。
何でもやたら量が多い代わりに質が良く一人前単価が安くつく便利な店なのだが、
ざっくり千円弱の買い物をしたかなと思ってレジに並ぶと、
請求されたのは何故か1980円。
何を無駄に買ったのかな、と気にかかりつつそのまま支払ってしまった。
どうも気にかかるのでサッカー台(レジのすぐ後ろ)でレシートと品物を見比べてみると!
一行目に「アクエリアス 1120円」。
心当たりのない品物が代金の過半数を占めていたのだった。
気弱な私も流石にレジを振り返り、「アクエリアス買ってないんですけど」と声をかけた。
念のため品物はどれも袋に詰めず、レジから見やすいように並べ直してみたが
レジの人は疑う様子もなく「え?あれ、そんなの入ってました?」
……私がアクエリアスを買っていないことは覚えていたらしい。
「すいません、こっちが気づいて直さないといけないのに」と即座に返金処理をしてくれた。
打ち直した正しいほうのレシートと手元のレシートを交換し、返金分を受領。
危なかった。店を出てから気づいてもレシートがある以上「買ってません」は通用するまい。
今日は暑くてややぼーっとしていたのだが、買い物には緊張感が必要なのかも。
見ず知らずの誰かに12Lもおごるところだった……

オフラインな日々

転居から10日が経過し、やっとインターネット接続が利用できるようになった。
メールチェックがパソコンでできる幸せ。#これまで携帯でちまちま見ていた。
ニュースを見るにも仕事を取るにもインターネットがほぼ不可欠な私には、
異境の地であること以上にオフラインである方がこの10日間を過ごしにくくしていた。
不便は不便であっても、困るとまではいかなかったので余計に難渋していたのだが
これからは自由だ(?)、やっと積極的に仕事をとりにいける。

季節の野菜

季節の野菜を使ったお総菜なるものを某スーパーにて発見。
ふき、たけのこ、かぼちゃ、ほうれんそう、しいたけ、ひじき……
何の間違い探しかと思った。
桜もほころぶ今日この頃、どの食材も旬ではない。
しいたけとひじきは乾物でいいとして、かぼちゃ(夏)とほうれんそう(冬)がいっしょくた。
もしや「季節」は今の季節ではなく四季折々のことなのか?
それはそれで強引すぎる……
ふきもたけのこも、季節と言えるのはだいぶ先のはず。


眺めていて、はたと気づいた。
春に山菜を採りに行く意義のようなものがここにあったのか。
屋外で普通に栽培する野菜で今が旬というものは少ない。
ハウス栽培以前の昔にはなかったということか。
それで自然にある新芽を食べようという動機であれば、
あのやたら煩雑な下ごしらえをしてまで山菜を食べる意味が分かる。
最早そんな有り難みは実感として理解できない世代になってしまったが……。

一物何価?

お気に入りのココナツサブレが本当はいくらなのか分からない。
@東京の某スーパーでは158円
@百円均一では(当然)105円
@大阪の某商店では88円
……確かに同じ商品なのに、ここまでいくと価値が分からない。

食器洗浄機の修理

昨日ガス台のグリル受け皿をかけたのが悪かったのか、
食器洗浄機が排水エラーを起こした。
素人ではどうしようもなさそうなので、メーカーに朝一番で電話。
即日対応をモットーにとは言っているものの、ほぼ即時対応でびっくり。
11時前には修理担当者が来てくれたのだ。
経年劣化で部品交換が必要だったり色々と大変なようだったが、
「とりあえず使えるようにしましたから」と代金もとらず帰っていった。
いわく取り寄せの必要な部品がまだあり、その部品代を調べてまた連絡をくれるとのこと。
ともかく感じのよい対応だった。
……惜しむらくはこのメーカー、最早家庭用の製品を出していないことだ。

物語アレルギー

私はテレビが嫌い、というより大の苦手だ。
現在の自宅では年に2時間もつけることはない。


最近どうしてそこまで苦手なのか心当たりが出てきた。
まず、小説やドラマの類が体質的に?苦手なのだ。
ゲームの物語進行中に出てくる小話さえ見るに堪えず逃げ出すことが多い。
原因はよくわからないのだが、脈が速くなって苦しくなるのだ。
ところが平気な場合もわずかにある。
台詞に音声が当てられていない場合は8割がた耐えられる。
どうも人の話し声がダメなようだ。


というところまで整理して、テレビの苦手な理由が分かった。
望まない音声が強制的にやってくるからだ。
実家では普通ヘッドホンなど使わずにテレビをつけている(のは当然だと思う)。
+両親はドラマをつけていることが多い(見ているとは限らないが)
→私の聞こうとしていない音声が発せられてくる。
→脈が速くなる
→逃げる。
そういうわけで、私は帰省していても茶の間にはあまり滞在しない。できない。


物語アレルギー(と勝手に命名する)がどこまで酷いかというと、
ドラえもんが2分間も見ていられないぐらいだ。
冒頭でのび太がいびられる場面が出たら逃亡。耐えられない。
2時間ドラマの佳境など何をか言わんや。


意図的に感情を揺さぶろうとする表現なるものがアレルゲンであるような気がしている。
同じテレビでも報道やクイズ番組なら平気であることが多い。
聞こうとして耳にする音声でなくても、逃げ出すほど不快には感じない。
しかしバラエティ番組では、となると……お涙ちょうだいが気持ち悪い。
感情として気分が悪いのではなく、やはり心臓に来る。
それとも感情が動いていることを私が否定したがっているだけだろうか。
こんなアレルギー、どうにかしたいような、そのままでもいいような。

今日「は」寒いの?

打ち合わせでS社を訪問。
「今日って寒いよね~」と声をかけられ、思わず「今日が寒いんですか?」と聞き返してしまった。
本当に家を出ていないのでここ数日の気候が実感できていなかったのだ。
「?」といった感じの相手に「引きこもってたので」とだめ押し。
だめなのは私の方なのは分かっているのだが。