自分の立ち位置

セルフブランディングなる言葉が最近よく目に入る。
自分で自分に焼き印を押すとは物騒な。なんて揚げ足取りはさておき。
私は「自分が身を置く社会の中でどのような立ち位置にあるかの認識」と解釈している。
「こうなりたい」「かくあるべき」という目標に合わせて設定してしまうのもあり。
「こう見えるのかな」「こう思われていそうだ」という外からの情報で推測するのもあり。
(推測には必ず自分の意思が入るのでよしとする)
そういう認識を持っておくことが、交流する相手に何らかの信頼感を与えるのではなかろうか。


さて、そこで自身はどう認識しているのかと言うと。実はよく分かっていない。
勤めていた頃の考課面談で聞いた評価、最近ついったーで頂く評価、いずれも実は香ばしい。
よくお世話になっている翻訳会社の方からも、ありがたい言葉を頂いたことがある。
しかし、甘言ではないかと疑ってしまって素直に信じられない自分がいる。
皆さん大人なので、他人をなじるようなことは言葉にしないのだろうが。
悲観主義者なので負の言葉を待ってしまっている面もあるのだろうとは自覚している。
たとえ甘言であったにせよ、それすら言うに値しない相手と認識されるよりはましなはずだ。
例外は完璧な裸の王様である場合だが、それはそれでひとつの幸せなので不問に付す。


現実での評価は「孤独を好む職人」、ネットでの評価は「人の輪の中心」とほぼ正反対だ。
複数人からの声なので、どちらも嘘ではないと思う。
そして、二つの「嘘ではないと思う」を「本当だ」に昇華させる過程が、私の宿題。
安易に回答をひねりだして提出すれば許されるものではない、考える過程そのものが課題だ。
暫定結論として、学生の頃までの評価はほぼ関係ない。
良くも悪くもそこをきちんと認識しないと、社会人としてふるまっていることにならないと思う。