親孝行とは言い難い何か

実家に行って来てしまった。
母に電話した時「若い人は来るな」と念を押されたのに。
断水と物資不足の窮状を聞くに耐えかねて、文字どおり飛んで来た。
通常50席の小型ジェットしか飛ばない伊丹福島便だが、明日までなら150席の大型機材が飛ぶので交通機関の圧迫にはなるまいと判断した。
何もないというのに父が家を離れたがらない以上、どうにか物流の回復まで凌いでもらうほかない。
とは言え個人の輸送力には限界がある。たった二箱の飲食物が精一杯だった。
水も届けたかったが、立ち寄ったスーパーでは軟水が品切れ。
東北でしか暮らしていない両親に硬水を飲ませるのは忍びなかったので、お茶とスポーツドリンクに変更。
被災地からおよそ遠い伊丹市内でも、一部物品の買いだめは見られた。
…何故かトイレットペーパーなど。
一番あげたかったドライシャンプーは何軒か回っても売り切れだったので断念。
電気とガスは使えると聞いたので、日持ちのする野菜を中心に調達した。
卵も食べさせたいが、空輸できる自信がないので牛乳に変更。
大型機材の臨時便は、疎開と逆方向のせいか乗客が10人ほどしかいなかった。
そもそも回送ぐらいの扱いだったのだろうか。
福島空港は無事そうだったが、よく見ると売店の飲料類が店頭在庫限り。
物流は限られているようだ。
予約しておいたタクシーで一路実家へ。
運転手の話を聞く限り、物資不足の状況は空港近隣でも芳しくないようだ。
タクシーそのものはLPガスなので問題なく走れているが、やはりガソリンがないと言う。
緊急車両扱いのカードを出せば給油できるが、10リットルまでに制限があるそうだ。
スーパーに商品が多少は入るだけましだろうが、入店まで二時間半も並ばされたとか。
それはさておき、実家への道は案内する必要があった。
途中からかつての通勤路だというのに、道標を思い出せず、密かに焦る。
結果的に正しい経路を辿れて安心したが、中心市街地も見ておくべきだっただろうか。
沿道の建物は嘘のように無事だった。
ただ店に商品がなく、明かりがないだけ。
これでは被災地と言っても信じる人は少ないかもしれない。
実家に着く直前の路面が言い訳のように割れていた。
ともあれ到着したが滞在してはいられない。
両親とも在宅だったが、箱を玄関先に置いて、声もかけず立ち去った。
泊まる余裕がない、すなわち当日中に帰阪するには時間がギリギリだったのだ。
それに、来るなと言っていた両親である。
顔を見せると余計に心配をかけるだろうし、冷静を保てる自信もない。
折り返してタクシーが市境付近に差し掛かったあたりで、母から電話があった。
来たなら一泊でもして行けと。
聞いたことのない声だった。
手短に断ると、母の背後から、なだめるような父の声が聞こえた。
いずれにせよ、私に戻るという選択肢はない。無理だ。
申し訳ないが、私はこういう娘なのだ。
強情で無鉄砲で、言うことを聞かない、薄情な娘だ。
あいつらしいと笑ってくれているといいが。

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