進んで傷つく人々

両親に声もかけず立ち去ったこと。母が泣きじゃくりながら電話をよこしたこと。
ダンナと話していたら「何で東北人は自分から不幸になりたがるんだ」と訊かれた。
無論、私が母と顔を合わせられなかった経緯も私の意図も彼は承知の上である。
「でもさ、それってみんな傷つくだけなんじゃないの」
まあ間違いではない。
無事に帰ってきたお礼を兼ねて義父母へ挨拶に行った時も、義父に変な顔をされた。
「家まで行っておきながら顔も見せなかったんかい」
見せる顔がないという論理を説明する気は起きなかった。
どれほど整理して伝えようと、その文脈が関西で暮らす九州人に伝わるとは思えない。
説明や理解の能力の問題ではなく、言わば前提とする思考回路が違うからだ。
敢えて言葉にするなら「そういう民族/生き物ですから」ということになる。
不幸になるのは自分だけでいい。
自分が耐えてあの人が少しでも楽になるならそれでいい。
黙っているだけで隠せるものならば、心配はかけないでおきたい。

ごく簡単に整理すると、あの国の人々はそういう前提で生きてきた。
少し前まで自分の個性と混同していたが、これは民族性のようなものであって私に固有のものではない。
むしろ私はそういう意識の低い異分子だ。
だからこうして、他人事のように文字を並べられる。
本来これは説明してはいけないことなのだと思うが「悪い子」なので敢えて記しておく。
一人でも無駄に傷つくことがないように。

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