商品の質を示す中国語は「質量」だと習った。
中国語にも「品質」と綴る単語はあるのだが、意味は違う。
物品ではなく人品の質なのだ。
(1) 人の資質,品性:
*政治~|政治的資質.
(2) 商品の質,品質:
*提高~|質を高める.
出典:デイリーコンサイス中日辞典 (三省堂)
近年では商品の質を示す言葉に「品質」を使う中国企業も増えてきたが、
政府の管轄部署では「質量監督局」などとなっている。
手元の辞書で「質量」の詳しい説明や由来などは分からないが、
物品の質は測定ないし制御しうる値をとる、といった解釈なのだろう。
一方、人品は推し量るぐらいしかできず、またそうすること自体が蔑まれる。
その上で、日本人が信じる「品質」は中国語訳しても「品質」なのではと感じるのだ。
「できがよいか」「要件を満たすか」と同等以上に「まじめに作られているか」が評価される。
誰が分かると言うの、と問いかければ、たいていの大人は変な顔をして閉口するだろう。
不満がなければ表に出てこない、暗黙の了解だから。
誰も採点基準を見せない減点法評価。
「質量」に訳せるほうの「品質」であれば、一応の採点基準は公開ないし共有されている。
国際標準はこちらの部類だろう。
それでも、「品質」になる「品質」を求める日本人は多い。
だからこそ食いつなげている立場で嘆くべきことではないのだが。
一般の日本語に言う「品質」には、工業用語で言う「商品性」も含まれる。
工業用語で「品質」と言うと、「故障品の数」だと新卒すぐの会社で習った。
つまり、商品性が高いものを誠実に作り届けてこそ、日本品質と認められる。
その無意識の欲張りにつきあう付加価値があってこそ、日本人料金がもらえるのだと思う。
日本人だから何をしても価値が高いなどということはないはずだ。
驕らず、腐らず、価値を高めていこう。