近さゆえの罠

中国語と日本語は、漢字を共有しているうえ、互いに語彙を輸入しあっている。
故に、知らないはずの単語でも日本語読みで読めている気分になってしまう危うさがあるのだ。


危うさもまだ気分のうちはいいのだが、少なくとも三つは具体的な脅威に進展しうる。
1・自分が知ったつもりで読み飛ばしてしまう危険性
2・直感的な「おかしさ」を客先や第三者に指摘される可能性
3・(上記1との関連で)粗製濫造される訳文と天秤にかけられる可能性
性質の違いこそあれ、いずれも広義では訳文の「正しさ」に関わる問題だ。
また、プロ意識にも関わるものではないかと思う。


このうち、3は個人翻訳者がどうこうできるものではない。
日本品質を目指し、正面対決を回避するほかなかろう。
そう言ってしまえば1も2も含まれるので、身も蓋もないかもしれないが。
ただ、1は受注から納品の段階、2は納品後の対応であるという違いは大きい。
共通するのは意識的に素直に取り組むべき課題だという点。
いったん全体を訳出してしまってから時間を置いて見直すだけでも1には意外と効く。
むしろ2の視点で日本語だけ、中国語だけを見直すぐらいでいい。
そして実際に2の指摘が来たら、その理由をできるだけ深く考えてみる。
先の訳語がハズレ、後の訳語がアタリと判断される理由はどこかにあるはずだ。
仮にそこで見つけたアタリを覚えていられなくとも、その視点の持ち方はそう忘れまい。
客先の気まぐれでアタリハズレを出されるのでない限り、身につけた視点は貴重な資産だ。
(実際には気まぐれでどうこう言われることも少なくないが)

2に類する指摘で毎度ごもっともと思うのは、最初の訳文/訳語がいまいち曖昧だったとき。
原文の用語を直訳したまま置いたような箇所をつつかれることは多い。
特に要求が伝えられていない状態で訳す場合、どこまで噛み砕くかは自分で決めるものだ。
「おかしい」と言われるのは、そのさじ加減が相手の要求と合っていなかったということ。
「もっと砕いてもよかったのね」と遠慮なく展開して返すと、たいてい受け入れられる。
特定箇所が「おかしい」場合は、その箇所の分かりやすさを優先して書き直せばいい。
厄介なのは「全体的におかしい」と言われた場合。
具体的にどうおかしいかの指摘がなければ実際に直しようがない。
(よそ様の話を聞いているとこちらの例も枚挙に暇がないようではあるが)
少し引いて考えてみると、「おかしい」であって「間違っている」ではなかったりする。
間違ってもいないものを直せと言われるとあれこれよからぬ感情が湧くが、直すのが仕事。
先に出した訳文に間違いがあれば素直に直し、なければ自信を持って言い換え表現を探す。
今の私にはこれ以上の対策が思いつかないのだが、まあそれでもどうにかなっている。
普段から言い換え表現を豊かにしておいて、こういうときにすぐ出せるようにしておきたい。

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