いつの頃からか、小説やドラマといった作り話が苦手だ。
テレビの「ドラえもん」さえ最後まで見ていられない。
偉そうに言えることではないが、文学どころではないのだ。
だというのに、物言いが文学的だと知人に指摘され、当惑している。
この日記も含め、雅語が多いとその人には言われたのだが。
相手に悪意はなさそうだったので、恐らく褒め言葉なのだろう。
とは言え、文学的な物言いや作文をしているつもりは全くないので喜べなかった。
どこがそう見えるのかと尋ねたところ、文の運びや語彙そのものらしい。
いずれも堅く無味乾燥なほうではないかと自分では思っている。
大辞林 第二版 (三省堂)によると、
ぶんがく-てき 【文学的】(形動)
(1)文学に関するさま。
「―研究」
(2)文学(1)のようなさま。
「―な表現」
とあるだけで、その意味する内容は分からない。
「文学的」という形容は批判的な文脈でしか目にした記憶がないせいか、
華美、柔らかい、情緒的、多義的で実用性が低い、というイメージしか持ち合わせていない。
必ずしも嫌いではないが、いずれも苦手なものばかりだ。
訳文の形として指定されれば書けないこともないが、そこに本音を乗せられる気がしない。
あるいは見る人から見れば、これでも既に情緒的なのかもしれないが。
どうせなら、何に限らず、無味乾燥でもしっかり実用的な文言を残したいと思っている。
尤もたかが日記に実用性も何もあったものではないのだが。