根底にあるもの

特に自分探しをしていたつもりはないのだが、一語一会なる本を読んで気づいた。
今更と言えば今更なのだが、自分の根底には法家思想がある。
同書のように出典を明示したり、一言一句を諳んじたりできるわけではないが、根付いている。
紹介されている言葉や故事に新鮮みを感じなかったのは、多分そのせいだ。
尤も、後半に出てくる仏教関連の話はどれも目新しく映ったが。


中国語で「人間」と書くときはジンカンであってニンゲンではない。
ニンゲンを表すときは人ないし人類と書く。
そんなことも分からない十代の頃、諸子百家と呼ばれるものを濫読していた。
人間理解のつもりが、そういうわけでジンカンへの偏見になってしまったのである。
道家も法家もその時の自分なりに納得し気に入っていたのだが、長じて研究したことはない。
哲学や古典といった学問として学ぶ気にはなれなかった。
もしかすると、そちらへ踏み出せばニンゲンの理解にもつながったのかもしれないが。
なまじ自我ができていない時期にかじってしまったので、妙な諦めが先に立って今に至る。
ニンゲン嫌いを自認しているが、実際に嫌いなのはジンカンだけかもしれない。
ことここ一年、そんなことでばかり悩んでいる。

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