見出し

最近また請けている朝刊翻訳の案件は、正しく言うとその見出しの翻訳である。
「今朝の~新聞ヘッドライン」と称してアナリストが拾ってきた見出しが原稿なのだ。
中国語と日本語では単語の略し方も違うので、一見して意味が分からないこともたびたびある。


見出しは機能として本文の要約を提示するものだ。
少なくとも自分はそう信じているので、その見出しを持つ記事本文に必ず当たる。
見出し単体の訳で意味が通らないところは本文から内容を補う。
記事本文だけで足りなければ他紙の関連記事も探して納得いくまで調べる。
仕事であればそれが当然なので何ら不満もないのだが。


日常的に目を通す(日本語の)新聞で見出しの意味が分らないと読む気が失せる。
私の場合ネットで他紙を当たれば済むが、新聞紙だけ読んでいる人はどう思うだろう。
引っかかるものを感じて当該記事を読んでみると、内容が見出しと合っていないこともある。
誤読を誘う見出しと決めつけるのは早計かもしれないが、普通そこまで考えるだろうか。
ぱっと見て本文の要否を判断する以上に頭を使いたくないのは私だけだろうか。
どうも最近、週刊誌のように目を引く目的なのではと疑わしい見出しが多いように感じる。
そんなことしてどうしたいの、と厭な気分になる以上のことはない。
自分の訳出した見出しが読者にそんな目で見られていないことを願うばかりだ。

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