珍しく年越し案件がやってきた。
本件は依頼の経緯も変わっている。
客先の中国人スタッフが和訳したものはあるが、その校正ではなく翻訳してくれとのこと。
そして問題の和訳が参考資料として添付されてきた。
翻訳会社の担当者によると、参考訳は日本語がおかしいものの専門用語は確かだという。
社内の人間が訳せば業界用語はきちんと知識があっても不思議ではない。
とりあえず、原文と突き合わせて参考訳を通読してみた。
期待値の低さに反して、文法上はそうそうおかしな日本語でもない。
むしろ先日の校正案件より流暢で読みやすかった。
日本人でも書きうる水準である。
おかしいのは用語の揺れと、見るからに原文由来の論理構成だ。
これを却下して翻訳会社に依頼を出した客先担当者のことを思うと緊張する。
そして、私の訳文は納品後、参考訳の作成者も目を通すことになるだろう。
語学力は十分にありながら翻訳文としては却下された訳文の作成者が。
当初予定では調べ物の一環として見る程度に留めるつもりだったが、方針を変更した。
請け負ったのは翻訳であり校正ではないが、敢えて参考訳を文として活用する。
キャッチコピーなど惜しいところがあまりにも多いので、その意を汲むため対訳を作成した。
ただし翻訳は飽くまでも自分で行う。
見た目にそれと分かるほど参考訳の表現が残るかは定かでない。
「その人」の目に入るのかも分からない。
それでも敬意を尽くして「その人」の見ていた先の日本語を紡ぎ出そうと思う。
緊張は武者震いのようなものに変わった。