近づかなければ離れない

とある中国問題のシンポジウムを聴講してきた。
基調報告も質疑応答も、興味深いながらどれも目が回るほどの幅広さ。
一つの事象を複数の人間が眺める面白さを感じた。


本題から外れた質疑ながら盛り上がっていた話題が「若者の中国離れ」。
中国を嫌うどころか意識の隅にも置いていない若者が増えてきているという。
登壇者は全員が大学の先生なので、想定されているのは恐らくその学生。
そもそも大学の一般教養科目から中国経済や中国社会が抜けたせいではとの話が出た。
先生方が学生だった当時は存在していたそうだが、私は受けた記憶も記録もない。
好きで中国語研究室に入り浸っていたぐらいなので、あれば受講していたはずだ。
「入口やきっかけがないから知識が入らない」
更に、専門科目の中国経済となると受講生の過半数が留学生という研究室も。
「日本人に勉強してほしくて開講してるんですけどねえ」
やはり関心を持つきっかけがなくて選択肢に浮上しないのだろうか。
一方で、大学の講義でなければ出会わないものかというのも疑問ではある。
ニュースを見ていて何も思わないのか、あるいはニュースを見ないのか。
年寄りの側に立って批判する気は毛頭ないが、単純に気になる。
きっかけがないというのは、そういうことなのだろうか。

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