一概に侮るなかれ

専門性を高めよと言う人は複数いるが、では何でも屋はどうすればいいのか。
これまで積み上げてきたものを軸足にしつつ、やはり原則として何でも引き受ける。
仕事をするほど視野が広がるという利点を忘れては勿体ない、という話になった。


「ビジネス全般」の看板を出していると、実に様々な分野の翻訳依頼が来る。
第一次産業から第三次産業まで、実務文書ですらない原稿も。
一方で、何かの偶然で特定分野の受注が重なり、翻訳実績が積み上がることもある。
或いはここで、その分野に特化して専門性を身につけ磨く途もあろう。
しかし、敢えてそうしない翻訳者がいてもいいのではという話だ。
何でも見ているからこそ滑らかに紡ぎ出せる文脈もある。
無論、自分の視野が広いなどと驕ってよいというわけではないが。
例えば、事業計画書や採算性調査報告書などは、ごく分野横断的な文書だ。
内容は対象事業そのものの分野だけにとどまらない。
事業用地(地理、不動産)、想定利益(経営)、法規制、環境などの話もつきものだ。
要は章ごとに関連分野がばらばらだと言っていい。
専門性が欲しいからと言ってこれを仮に5人に分割して発注する利益があるだろうか。
ないと断言はしかねるが、統一性を誰が担保するのかという話になるのではと思う。
新聞の署名記事でもあるまいに、文体が揃わないのは見た目に抵抗があろう。
章をまたいで登場する、かつ出現頻度は低いキーワードも存在する。
そうしたものを発注元ないし管理者が責任を持って洗い出せるだろうか。
5人が5人、その存在に気づき指摘するだろうか。
全文を通読する立場にないと、そこのばらつきによる気持ち悪さは分かるまい。
勿論、それでも各論の精度を優先するという価値観は認める。
しかし想定読者は「忙しい」企業の経営者ないし投資家だ。
「で、何なんだ」「で、どうなんだ」となりはしまいか。
そもそも結論部分は誰が精度を担保するのだという問題もあるが。
いずれも終始1人で担当すれば起こらないであろう問題だ。
当然その担当者にはそれなりの技量が要る。
ある意味において専門性と言えるだろう。
さて、それではどう磨いたものかなと。

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