今週末で、初の翻訳仕事を受注してから丸9年になる。
独立してからは今月末で丸4年。
ようやく他の職歴を追い越す長さになった感がある。
そんなことを思っているところに、品質概論講座教材らしき原稿が来た。
品質管理は社会に出て初めて関わった仕事の分野。
すでに結構な規模の別件を進めており少し躊躇したが、引き受けてよかったと思う。
会社員として携わっていた当時はむしろ嫌いだった「管理のための管理」。
その意義を理解するのに12年もかかったとは、我ながら呆れる。
明確な管理基準あってこそ、他の文化や業種の人々と解り合えることがあるのだ。
「当方の基準はこうですから」と示し、それに従えば、話に筋を通すことができる。
その原稿にも書いてあったが、問題は当事者意識や認識によるところが大きい。
「初めから仕事をきちんとする。いい加減に取り組まない」
文化を醸成するための教育は難しいが最も有効なのだという話だった。
「いい加減」という表現では曖昧だということで、やはり明文規定が要るのだという。
細かく作業仕様を詰めていくほど息苦しいような気はする。
一方で、「品質問題」の原因は要求仕様の詰めの甘さにあることが多い。
そもそも需給双方で想定する「品質」が違うまま放置するのがその根源であると。
解決法は単純明快、「だから話し合え」ということだった。
曖昧な要望のまま放置せず、評価しうる仕様に落とし込むこと。
話し合わなければ始まらないし、話し合うからには誠意を尽くすのが筋。
そこまでは意識でも態度でもなく、さほど厳しい話でもない。
問題の発見から対処に至る一連のPDCAにしても、具体的に考えたほうが楽だ。
抽象化すればするほど面倒で厄介な概念になっていく。
その概念だけを教わっていたのだから当時の私に解らなかったのも一理ある。
教材では事例の共有に力が入れられており、かなり気を引いた。
話を具体的なものにするほど分かりやすくなる一例ではないかと思う。
共有できる事例の引き出しを充実させる、という目標があってもよさそうだ。
それこそ「いつ」「だれと」「どこで」という要件定義が要りそうではあるが。