前提

先週からの出版翻訳講座は日中訳と中日訳が1回交代なので、今回は中日訳の初回。
序論ということで改めて「翻訳とは」の話から始まった。


引き合いに出された書籍は”Children Learn What They Live”、米国の本である。
「翻訳とは」の話に英語も中国語もないらしい。
さて、その文に対する邦訳出版物が3冊と育児サイト1ページが紹介された。
『アメリカインディアンの教え』
『あなた自身の社会 スウェーデンの中学教科書』
『子どもが育つ魔法の言葉』
子は親の鏡
講座資料には英語原文とそれぞれの日本語訳が5組ほど列記されている。
授業前に資料だけ見ると何かの間違い探しのようだったが、主旨は勿論そうではない。
「どれも間違いではありません」
優劣の評価もなかった。
「翻訳とは、ターゲット言語での違和感がない文に訳すこと」
「原文の価値を訳文で再現すること。1:1対応を目指すという意味ではありません」
後者については産業実務翻訳の場合そうも行かない。
加えて「文の用途、テーマを把握すること」に依頼元の要求を含めるとの説明だった。
翻訳実務経験のない受講生にはいまひとつぴんと来なかったらしい。
続いてプロフェッショナルとしての心得が説かれた。
秘密保持はこのご時世なら当然だろう。
著作権法の遵守も、こと出版畑に踏み出す者なら意識が及ぶところだ。
言われてみて驚いたのは
「反社会的な文書の翻訳をしてはならない」
(他人を誹謗中傷、第三者を誤導・詐欺する)と資料にはある。
「頼まれたから訳しただけです、では済みません」
原文を読めない人が故に依頼してくることもあるはずだが、断るべきだという。
幸か不幸かそうした案件に出会った経験はないが、考えさせられた。
原稿に目を通して反社会的だと判断したら、その旨の返信にとどめるということか。
事情によっては依頼元が自身の置かれている状況を知る用途ということもあろう。
まずは直接の窓口に対してそのあたりの確認と意思疎通を意識すればいいか。
訳出そのものにしろ、翻訳という仕事にしろ、既定の正解はない。
だから人間がするのだし、報酬も発生する。
そして、面白い。

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