プロの芸

芸術と呼ばれるもので初めて涙した。
まだ感受性は残っていたようだ。


知る人ぞ知る秋の祭典、大道芸ワールドカップin静岡
大道芸という響きに侮るなかれ、その道を究めた一流の演技には本物の迫力がある。
ジャグリング、けん玉、パントマイム…どれも言葉に頼らない芸ばかり。
日頃の自分の仕事や指向とまるで対極にある世界はリフレッシュに丁度いいのだ。
ましてワールドカップの名に恥じぬ妙技の数々。
勿体なくて写真を撮る気にもなれなかった。
黄昏時に見た「謳歌」さんの「リングアート」を初めとする「視覚芸術」が白眉。
「視覚芸術」とは彼自身の紹介によるものだが、音楽とも調和のとれた演技だった。
その演技のため作曲家が書き下ろしたという曲もあるという。
説明を挟みながらの演技だったが、何度目かの拍手の後、彼はマイクを置いた。
「もう一つだけ演じさせてください。とても大切にしている芸です」と始まった「透明」。
アジア芸術祭の舞台で最後に出した演目とのことだった。
挙止がとにかく美しく、そして何故か哀しい。
自分の奥底から何かが勝手にあふれ出しそうになった。
この感覚は忘れずにおきたい。
「皆さん、本当に好きなものに出会ったら、どうか続けて頑張ってあげてください」
彼が感極まった地声で叫ぶように呼びかけると、拍手は大きくなった。
「そして最後にもう一つ。お金をください。僕はプロなんです。プロになったんです」
大道芸という場が彼にそう言わせた側面もある。
鑑賞料金というものが規定されていないのだ。
演技を気に入った観客が好きなだけ「ハットマネー」「おひねり」を渡すことになっている。
この好きなだけというのが曲者で、たいていの人は数百円しか出さない。
演技の種類、すばらしさに関わらず。
最後まで拍手喝采しても払わない人もいる。
態度と評価額が連動しない。
まして、そもそも観客が集まるかどうかは全く読めないらしい。
ディアボロ日本一、フランスで客演の経歴を以てしても、閑古鳥の鳴く回があったという。
消費者は残酷だ。
その厳しさに耐え、プロとしてやっている事実が重い。
無論そんなことは口に出さず、演技中はその世界観に即した表情しか見せない。
気の利いた感想も言えず、万札を渡すのが精一杯だった。

“プロの芸” への2件の返信

  1. 素晴らしい芸術を観られたんですね。私も好きでいろいろ観に行きますが、宣伝文句とか有名だとか肩書きとか関係なく、自分が作品に対峙して感動するか否かがすべてなんですよね。ふるかわさんの純粋な感動の気持ちよくわかります。そういう感覚、大切にしたいですね。

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