八百万の神ましますゆえに

同業の友人と話していた時のこと。
「ハロウィンも日本に定着しちゃったよね」と言われ亥の子餅の話を思い出した。
「いのこもち」と入力して一発変換できるほど人口に膾炙したものではないようだが。


ちょうど読んでいた47都道府県・伝統行事百科 [ 神崎宣武 ]によると、

つまり、子どもたちは、神の化身であり、一家の安全をはかる地搗きを行ったのだ。それに対しての供えものをなせ、なさなければ災いが生じるぞ、と言っているのである。
(中略)
餅や菓子をもらった子どもたちは、「繁盛せえ、繁盛せえ」と合唱して次の家へ向かう。もし、もらえなかったら、「貧乏せえ、貧乏せえ」。

関西から中国地方の農村に伝わる行事だそうだが、ハロウィンと通じるものを感じる。
ハロウィンは人によって地蔵盆とも重なって見えるそうだ。
こういう素地があるから、海外の祭りや行事も受け入れやすいのではなかろうか。
ただ安易に表面だけにぎわいだけ輸入しているのとは違うのかもしれない。
最初はそうであっても、根付くものにはそれなりの理由があり、土壌があるようだ。
或いは「そんなこと、どうでもいい」のかもしれない。
しかしその「どうでもいい」の根底にも八百万の神とのつきあいがあったら面白い。
おのおのの信ずるものが何であっても「どうでもいい」
形骸化しようが現代流になろうが「どうでもいい」
発祥がどこだろうが担い手が誰であろうが「どうでもいい」
それでもいいのではなかろうか。
必ずしも無責任や薄情の発露とは限らない気がする。
「どうでもいい」なら己の信ずる唯一神のために他者を手に掛けることもあるまい。
求められる要件は、その場その地になじむこと。
なじまない流れ者の排除さえないなら、その程度が「いい加減」にいい。
そういう日本を見直して楽しみ直せたら。

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