翻訳出版講座のワークショップなる企画で「とりまとめ役」を仰せつかっている。
校正でもなく編集でもないようなので、何をすればいいのか事務局の人に訊いてみた。
各人から上がってくる用語や表現を最低限まとめればよいとのこと。
ただ修正履歴は分かりやすく提示しないと各人が参加する意味をなくしてしまう。
かといってWordの「変更履歴」機能に任せると、人によっては読みづらくなる。
結局は対訳ならぬ対比表の形でよかろうということになった。
現在までに預かっている訳文は2人分。
自分の担当箇所とすり合わせつつ、気づいた点は自分の訳文にも反映させている。
なかなかない経験なのだが、事務局の人によるとそれも狙いのうちなのだという。
「速さと正確さは他の人にない強みだけど、決めてかかる傾向があるね」
「現状だと監訳が要るレベル。なしで一人で訳せるところまで育って欲しくて」
「必ずしも自分の訳が正しいわけじゃないのをフラットに見てごらん」
非常に励まされた。
と言うのも、2人目に預かった訳文の質があまりに高く感じられたためだ。
自分より若い、日本人でもプロでもない子が、遜色ない訳出をしている事実。
曲がりなりにもプロでありながら、今まで何をしてきたのだろうと打ちひしがれた。
挫折どころでない自信の喪失感とまとめてしまうと軽すぎる。
悔しさをバネに猛勉強で見返そうという元気もない。
何らかの強みが光って見えるのではなく、レベルが高いのだ。
嘆いても悔いてもどうにもならないのは分かっていても、他のことができなかった。
就寝しても頭から離れず。
夜が明けてよくよく見れば全体が驚愕の品質というほどでもなかったのだが。
とは言え相対的な安定感を以て誇る気には到底なれない。
どうにか気を取り直して、自分にできること、自分のやるべきことを考えてみた。
託されているのは全員分の、全体のとりまとめである。
まずは用語を洗い出して各人の充てた訳を一覧表にしよう。
その表を叩き台にみんなの合意を得て、表現に反映すればよいのではなかろうか。
しかし全部を自分が訳したような癖に染めたくはない…。
時系列に逆らうが、そこで前述の言葉にありついたのがことの顛末である。
少なくとも、まだ、ある程度は、期待してくれている。
ここから線の引き直しだ。