父が荼毘に付された。
父は私を溺愛していた。
当人の存命中は全くぴんと来なかったが、今更やっと自分なりに理解した。
同じ匂いのする娘がどうしても気になっていたのだろう。
いたく人間嫌いで、肝心なことに限って口に出さない。
どういう感情でそこに至るのかは、恐らく他の人には理解できないだろう。
それが分かる、でなく、匂っていたのだろうと思う。
父に似なかったのは頭でっかちな持論の組み立てぐらいのものだった。
自分の基準に照らして受け入れがたいものがあったから、自ずと避けていたのだ。
「最後あんたが駆けつけてくれたのを見て力が抜けちゃったんでしょうね」
真っ暗な寝室で、表情の掴めない口調で母がつぶやいた。
まあ同意する。
母からの電話で急に帰省してからたったの5日間。
介護のまねごとらしきことができたのは10回もなかった。
多分、そんなことは父が避けていたのだろう。
こんな娘の顔は見たかったが、やつれた姿は見せたくなかったようだ。
だから意地のようなもので最後の最後まで呼べなかった。
初日こそまともに会話もできていたのだが、
最後の一言は「ここ(厳密には父の寝ている上の部屋)で仕事ちゃんとできてるか」
こちとら21万文字を2週間の前倒しでやっつけたったわ。
できる限り時間を割いて応えてあげたかったから。
でも、それからたったの4日、否、正味2日。
ずっと貼り付いて看ていた母、毎週のように様子を見に来ていた兄。
その何分の一も働けなかったが、故人にはそれで丁度よかったのかもしれない。
いつまで経っても3歳児にしか見えない娘には何も頼れなかっただろうから。
そして恐らく一番最後に会いたい相手だったのだろうと今は思う。
最後の人を更新したくなくて、頑張って生きるのを放棄したのだろうと。
介護関係の「初めまして」が増える頃には、父の意識は混濁しはじめていた。
日曜に入院させられるまで、何かと理不尽なことを言って母を困らせていた父。
「奥さんには甘えちゃうんですよ」なんてかわいらしいものではない。
もう大丈夫だろうと勝手に判断して、最後のわがままと甘えを見せたのだろう。
そう自分に言い聞かせて、あの人の娘らしく見栄を張らせていただく。