年度末を迎えるたび、沖縄に行かねばと思わされる案件がある。
中国の学生たちが日本訪問イベントでひめゆり平和祈念資料館を訪れた感想文の数々。
戦争の残酷さと平和の尊さに痛いほど涙するという。
そこに国籍も民族もない、と書いた子もいた。
だがだからこそ日本人として知っておかねばと一人旅へ。
ひめゆりの塔からやや離れた沖縄県平和祈念資料館を先に訪れた。
蒸し暑く小雨がぱらつく中、同館のある平和祈念公園の駐車場はがら空き。
車を駐めるとすぐ「お花も買ってくださいねぇ」と声を掛けられた。
どこに献花台がと尋ねると、「命どぅ宝」の石碑に手向けるものらしい。
花束と線香を1組その場で買い、まずは案内されたとおり石碑へと歩いた。
目に入った車の数からは想像も付かないほどの、しかも新しい花束が積まれていた。
見学ではなく献花だけのために早朝から訪れる人がいるのだろうか。
沖縄の悲劇は、第二次世界大戦のいわゆる沖縄戦だけではなかった。
考えてみれば当然かもしれないが、そのだいぶ前に島津藩の侵攻を受けている。
いつの間にかそのあたりの認識が抜けていたことを恥じた。
本当に日本は沖縄が「回帰」すべき「祖国」たり得るのかむしろ気になる。
日本のしたことだって十分以上に残酷だった。
勝手に割り込んで、何もかも奪い、疑いの目を向け、裏切ってばかりだ。
それでも平和憲法を奉じる国の許へという人々の願い。
感想を求められたとしても書けやしなかった。
何を言っても軽すぎる。
気付くと奥歯と両脚がガタガタ震えていた。
落ち着こうと思いつつ園内を歩いても、今度は高温多湿で物理的に苦しい。
駐車場の方に目を泳がすと、「ブルーシール美味しいですよ」と売店から声が。
名物アイスクリームという気分にはなれなかったが冷たいものは必要な気がした。
聞くと当地の「ぜんざい」は金時豆にかき氷をかけたものだという。
クリームぜんざいを勧められたが敢えて普通のぜんざいにした。
「まあ中でお休み」と民家の食堂のような店内に通される。
テレビが何やらわめいているが、土産物の並ぶ空間は「平和」そのもの。
利用客はいなかった。
売店を利用するのが善行というわけではないが、それでいいのかと引っかかった。
昼前だから空いていただけなのかは分からない。
それでも、日曜なのに、春休みなのに、見学者は少ないのか。
そしてひめゆりの塔と資料館。
館内撮影禁止とあったが、禁じられておらずとも撮る気にはなれまい。
痛みは撮れるわけがない。
ひめゆり学徒らしき方の肉声は少しだけ聞けた。
体験を語る一人一人の証言映像はひととおり見た。
別室に並べられた体験記は数本しか読めなかった。
いたたまれない、という言葉はこういうときに使ってよいものだろうか。
思い出すのもおぞましかろうに、生存者の使命として証言してくれた皆さん。
戦争はいけない、絶対に美化などしてはならない、という理由が分かった気がした。
身に沁みたつもりであっても、ごくごく浅い感覚ではあろう。
ただ、その残酷な事態は決して味わってはいけないし、味わわせてもいけない。
そのための「祈念」だ。