通訳や翻訳の仕事は外国語さえ理解できれば務まるというものではない。
発話者の背景の文化を理解していないと伝えきれないこともあるからだ。
中国語を扱っていると、対象国が限られるせいか余計にそのあたりが求められる。
日中英トライリンガルの友人が北京で通訳修行をしてきたというので話を聞いた。
専門職大学院で中英通訳を養成するコースの短期体験というやつである。
この大学院というのが曲者で、日本には翻訳修士号を取れるところが皆無だ。
(中国では翻訳業は通訳業の下位概念)
つまり日本では学位記で仕事を取れるわけではない。
が、中国では逆に修士号があってなんぼという話なのだ。
高等教育の制度そのものもかなり違い、あちらでは入学年齢に上限がある。
学びたければいつでもというわけにはいかないのだ。
そのせいもあってか、クラスメイトは大学を出たての若い子ばかりだったという。
当該コース講師の話によると、同時通訳を目指せるのは35歳までだそうだ。
尤も学部を出てまっすぐ進学できるのであれば年齢の心配もないはずではあるが。
日本では通訳や翻訳の養成所は文科省所管の教育機関ではない。
そのため出ても何ら公的資格は得られないうえ、当然ながら学位も取得できない。
そうした性質もあり、何らかの実務経験を持つ社会人が時間を割いて通うことになる。
腕に覚えがあるか志の強い者が純粋に自己投資すると言えば聞こえはいい。
が、その後の仕事の保証がまったくないことは推して知るべしである。
反対に、中国では仕事の保証が固いのだという。
エリート外語大の専門職コースであるからには、その出身というだけで箔が違う。
語学人材を必要とする大手企業では引く手あまた、さらに外交官への道も引いてある。
それに値するだけの資格が名門校での翻訳学修士号というわけだ。
友人によると学生は誰もが優秀でプライドも高いという。むべなるかな。
一方、体験コースだったせいか工業分野やビジネス実務の講義はなかったという。
ひたすら政治、経済、外交。
どうも「エリートたるものそこを学べ」という話らしい。
まあ国連スタッフの養成を旨として開設された歴史上はそれが正しいのだろうが。
ただし、繰り返すが、彼らは実務を知らない無菌培養のエリートだ。
何を学んでいるかというと「美文のかっこいい訳し方」、「主張の伝え方」。
前者には独特のそして相当の修練が要る。
政治関係では少なくともここ70年、文化面では3000年分の基礎知識が要るのだ。
それを発信すべき仕事なのだから、それはそれで当然であろう。
翻ってその対岸にいる自分と来たら、語るべき美しき歴史は何もない。
修士号どころか筋が通ったキャリア形成の足跡すらない。
あるのは多様な実務経験だけだ。
一応それなりのスクールに通った経験はあるが、それで彼らの対岸には立てない。
対抗戦略としては「読者の側に立つ」に尽きる。
読ませる、押しつける、丸め込むための訓練は積んでいないし彼らに敵わない。
むしろ「だから何なのか」を読み解く術を訳文に忍ばせられないかと考えている。
飽くまで押しつけることなく。