徒花でも散りはする

ついったーのオフ会で忙しくしていた頃からもう7年になる。
「かまってもらえるうちが華よ」という母の言葉を今更しみじみと思い出した。


顔なじみができてきた頃に関西を離れると、そういう意味での居場所はなくなった。
元の木阿弥というやつで、人の輪に入れてもらうのが苦手なのは直っていなかったのだ。
人の輪ができあがる前に顔を出していると、何となく仲間に入れてもらえた。
否ただそんな気がしていただけかもしれない。
関東ではすでに人の輪ができあがっており、取り付く島もないように見受けられた。
自分がそこにいる必要がない。
退職後の父が人付き合いを絶っていた心境も似たようなものだったのだろうか。
勤めている頃は週末のたび麻雀に出かけていた父が、ぱったりと出かけなくなった。
せっかく時間が自由になったのに、誘いを断るようになってしまった。
「自分を呼ぶものがない」と感じていたのだろうか。
若い頃は「せっかく呼んでくれる人がいるから」行っていたのかもしれない。
それがふと「自分である必要がない」と気づいてやめたのではという気がする。
在職中は人間関係の維持そのものに意義を見出していたのかもしれないが。
対人関係に支障のない人々にはご理解いただけないかもしれないが。
人間〈ジンカン〉が苦手だとおかしなところで自我に固執してしまうところがある。
自分がいてもかまわない場と自分を呼んでくれる場は厳然と違って見えるのだ。
客観的には両者の区別はないのかもしれない。
しかし前者はいつしか「いてもかまわない」が「いなくてもかまわない」に変わる。
自分がその場に求める何かにありつけないと、自分が要らなくなる。
後者には恐れと疑いの混じり合った感情を抱えて顔を出す。
自分でもいいから呼んでくれているのか、敢えて自分がいたほうが望ましいのか。
「自分でもいい」は「他の人でもいい」。
いたほうが望ましいとすると、何故どの人が喜ぶのだろうか。
その答えが自分で出せないと、やはり自分が要らなくなって場から脱落してしまう。
こじらせると「自分でもいい」はずなのに自分が自分の存在を許せなくなる。
こうした幼稚さに周りが呆れ果てた結果として、声がかからなくなるのだろうか。
厭になる以前に、要らないよね。

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