読めない原稿

プロとして生計を立てている以上、原稿を引き受けたら訳して返す。
しかし残念ながら1度だけ訳出を放棄したことがある。
文字として読めないものばかりは訳しようがない。


たいていの取引先は原稿ないしその一部を見せてから諾否を訊いてくる。
そうでない場合どうするかが問題なのだ。
例えば「医療関係1000字ないぐらいですが明日までにできますか」と打診されたとき。
経験上こういうときの原稿は高い確率でハズレである。
受諾してから画像をPDFにまとめたものが原稿として送付されてくるのだ。
文字として読めない塊が含まれている「原稿」はハズレとしか言いようがない。
画像をさっと見た時点ではそこも文字であるかのように見えるのだろう。
中国語が分からない人にはその塊が漢字でないことさえ伝えても分かってもらえない。
あまつさえ「判読できない箇所は仕方ないので●に」と指示が来る。
それでは文書として意味がなくなる場合でもお構いなしに。
だから文字数単価でしか商売ができないのだろうか。
という愚痴はさておき、うっかり文字の潰れている原稿を引き受けてしまった。
画像の質が低いのではなく、出版物のコピー防止パターンで何割か潰れている。
原稿を提示されたとき冒頭の数枚だけは確認したのだが、その後がハズレだった。
当該文書を読む正当な権利がないから読めなくされているので複雑な気分だ。
どうしようもないので取引先にコピー防止パターンの旨を伝えてみた。
客先が当該文書を読む正当な権利を持っていればカラーコピーも取れるはずだ。
果たして翌日にカラーコピーが支給され、今回は全文を訳出できた。
問題は解決されたのだが、どうにも後味がよろしくない。
モノクロコピーでは読めない箇所がある、と取引先の誰も気づかなかったのだろうか。
モノクロ原稿と同じタイミングで文字数も伝えられている。
ということは、文字を数えられる程度には目を通した人がいるはずだ。
数えている最中「ここは読めないかもしれない」と思わないものだろうか。
それとも何らかの道具で機械的に数えられるので人が目を通す必要がないのか。
いずれにせよ彼らの仕事は客先に訳文ないしその加工物を売ることのはずだ。
「原稿」が翻訳に堪えるかを担保するのも品質管理のうちかと思うのだが。
下請けに管理文書を渡すばかりが品質管理だと思われている気がしてならない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です