恐らく巡るもの

インターネット経由でニュースを見ていると広告が目に付く。
内容以前に表示されている文字列からして不快なものも多い。
そしてそれぞれが商品内容に関わらず酷似している。
特定の雛形に商品の特性らしきものを埋めているようだ。
どうやら「アフィリエイター」の「仕事」らしい。
広告宣伝のプロではない人々が二束三文で書いている。
なるほど「マニュアル作業」なら量産も頷ける。

マニュアル作業を十把一絡げに唾棄したいわけではない。
ただ、読み手に対する敬意が感じられず、引っかかるのだ。
「仕事の成果として、それでいいの?」に尽きる。
恐らくそういう「仕事」なのだろうが。
発注元から敬意を感じられなくても淡々とこなす仕事。
創造的でも自由でもない仕事。
或いはそれをこなせる人は自分なんかより偉いのかもしれない。

そんな偉さは自分には要らない。
我が身を省みれば「安い仕事」も結構ある。
そんなの報酬金額で分かるだろうと同業諸氏は言う。
金額だけではない、と思いつつ言葉にできずにいた。
それが今般やっと分かった。敬意と誠意だ。
翻訳会社の人、客先の人、その先にいる「お客さん」。
翻訳を業とする以上、原文の書き手にも持ちたい。
他の当事者すべてに対する敬意と誠意、か。
それが欠けていると感じると、やる気を失う。
安く見られている気がしてならない。
反対に、誠意が感じられれば金額面で妥協することもある。
状況の説明なり他の条件の交渉なり、できる努力はある。

こうして並べてみると自分があまりに感情的に見える。
とは言え、感情がなくていいなら機械でよかろう。
感情に訴える、ではなく、応える、仕事をしたい。

 

 

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