何でもなどというものはない

とある翻訳会社から、ゲーム案件の問い合わせが来た。
「このジャンルの個別の作品にどれだけ深く関わってきたか教えて」
1時間ほどあれこれ受注歴を漁ったが、何も答えられなかった。指定されたジャンルでなければ数字が出せる程度の実績はあった。
今回の案件に縁がなかっただけ、と思えばそれまでかもしれない。
が、「ゲーム翻訳歴」だけでは今や通用しないということか。
求められるのは個別の作品により適した経験者だけなのか。

あるいは英日訳市場ならそんなことは昔から常識かもしれない。
しかしそれは市場規模の余裕だろうと高をくくっていた。
和訳市場の8割は英日、中日はせいぜい1割の規模で回っている。
「何でも屋」でなければ食えないのが開業当初の現実だった。
となれば実績もおのずと浅く広くなり、専門性は上がらない。
それでも「何でもできるから」回ってくる仕事は一定数あった。
恐らく「何でも屋」の真骨頂はニュース速報だったと思う。

思えば先月あった打診も、実務案件だがかなり的が絞られていた。
かなり具体的にこちらの都合を訊いてきたので手応えはあったのだが。
こちらに落ち度がなくても受注に至るとは限らないので分からない。

とは言え、20年もやってきて今更「専門性」がない事実は重い。
一般的な文ほど市場性がなくなってきているのは感じている。
「誰が訳したか分からない文ならAIでいいのかもよ」
何気ない会話で家人の放った一言が深く突き刺さっている。

 

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