そこは言わないお約束

日中訳講座の2回目。
日本語では省略されている内容の抽出に重点が置かれていた。


うなぎ文:「僕は、うなぎだ。」
こんにゃく文:「こんにゃくは太らない。」
日本語教育や言語学では有名な例文だという。
それぞれの文に隠された何があるのかを理解せずには訳出できない。
整理してしまうと当然にすぎるのだが、文意を考えると
・「僕は」を主語と捉えると、「うなぎだ」は述語にならない。
 →僕は、うなぎを食べようと思っているのだ。
・「うなぎだ」が述語だとすると、主語は「僕は」ではあり得ない。
 →僕は、食べたいものを決めた。それは、うなぎだ。
・同様に、「こんにゃくは」と「太らない」は実用上、主語-述語の関係にない。
ところが文法だけを見ると、主語-述語として扱われてもおかしくないのだ。
もしかするとこの辺りが「機械にはできない仕事」の最後の砦かもしれない。
他の言語はともかく、中国語はこの種の省略がほぼ許されていない。
中国語ならではの省略機序もあるが、日本語と同じ法則で動くものではない。
そこを無視して「原文に忠実でない」と指摘するのは見当違いだということ。
また、考え方のヒントとして、裁判所における法の解釈が紹介された。
法律を解釈するよりどころは、文意、文理、目的。
文意だけで補いきれなければ文理ないし目的に立ち返って考えよということである。
「面倒で大変な作業ですね。でもその過程を楽しめる人が翻訳をすればいいんです」

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