言葉ないし自分はどこまで素直か

苦手意識は持っていなかったのだが、センター試験で最低点を叩き出したのは国語だった。
よくそれで合格したものだと大学の同期にはさんざん笑われたものだ。
自己採点では古文と漢文が満点、現代文が恐ろしく悪かったのを覚えている。
つまりは文の「意図」が読めていなかったということだろう。
それが今や日本語を売る商売で食べていられるのだから不思議なものだ。


人の話を鵜呑みにしやすく、何でも字面どおり額面どおり受け取ってしまう帰来がある。
それと裏表で、言われていないことの察しが悪い。
だから「気が利かない」し、人にも好かれない。
…というようなことを刷り込まれてきたような気がする。
断っておくが、誰が悪いのではない。
「お察しください」文化になじめない性分なのだ。
ほぼ何でもかんでも自分の言葉で整理しないと気が済まない。
今でも時々「(そんなことを)分析してどうするの」と言われる。
確かに実用的な分析ではないのだろうし、いちいち失礼なのかもしれない。
恐らく愚痴をこぼすようなもので、線を引ければ少し落ち着くだけのことなのだ。


何でもかんでもとりあえず否定してかかり、悲観的な言葉を投げつける人がいる。
そうした言葉を浴びながら、いちいち真に受けてきた結果なのだ。
真に受けたのは自分の情動であるし、某かの判断が働くべきところだから自分の責任。
しかし未だにその責任が自分に対して負いきれずにいる。
どうしてやったら自分は素直になれるものだろうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です