機械に使われていまいか

このところ某社の訳文の「チェック」が煩わしくてならない。
無論、見直しを放棄しているというわけではない。
取引先指定のツールで機械的に「チェック」した結果がひどいのだ。
1.「訳文が編集されていない」
2.「異なる原文に同一の訳文が当てられている」
3.「タグ順が違う」
どれも人間ならば指摘しない「エラー」である。
このうち1.は中国語と日本語だから多発するものだ。
例えば「2018年8月9日」と原文にあったら訳文も同じになる。
最もひどい例では項目番号の「①」しかないのに「エラー」だ。
他にも見た目に変化のない対訳は存在しうる。
2.と3.は取り扱い言語が異なってもよく出てくるだろう。
「エラー」が出れば真面目に確認はするが、まず誤訳ではない。
原文の句読点に全角と半角が混ざっている場合に頻発する。
訳文では句読点を全角に統一するため2.の「エラー」が出る。
そして3.については数字の位置を動かすと出る。
アラビア数字は半角、漢数字は全角のせいだ。

「おかしなエラーは無視してください」と担当者は言う。
言うのは実に簡単だ。
その処理が何千回もあるのに。
人間だったら指摘するはずのない「エラー」処理が。
しかしその「チェック」を経ずに納品はできない。
訳しようがない箇所は対象外に指定してくれと頼んでも返事がない。

機械ほども信用してくれないんでしょうか。

日本の技術は世界一、なの?

持論のようなものはついったーに出さないことにしている。
どうもここのところ偏った言論空間に見えて仕方がない。
中でも目に付くのが「ものづくり」の素晴らしさ云々。
テレビが焚き付け、週刊誌が拾い、ネットに拡散している模様。
確かに紹介されている個々の事例はすごい。素晴らしい。
しかし褒めそやされているものは得てして個人技だ。
テクニックであってテクノロジーではない。
それでは産業としての強みにはなっていないはずだ。

「うちが欲しいのはテクノロジスト、テクニシャンじゃねえの」
新卒で入った会社の先輩の言葉を思い出す。
その先輩は、私どころでなく英語を苦手にしていた。
それでも「技術者」と言わずカタカナ表現を使った意義は深い。
「技術者」ではあいまいだから、である。
メーカーで言う「技術」は専ら「テクノロジー」だ。
一定水準の製品を安定して生産するための「技術」。
体系化、手順化され、むしろ個人技能への依存度は低い。
聞いた当時は非人間的に響いて抵抗感を覚えていた。
しかし考えてみると会社員は代えが利いてなんぼのもの。
経営の観点からすると当然なのだった。

……なんてことが最早つぶやけない。

場と信仰と運と

ここ半年で有名な寺社をいくつも拝観してきた。
そもそもが不信心なのだが、得られたものがひとつある。
「あれ」は単なる不運だったのだ。

最初の「被害」を認識してから30年では済まない。
しかも断続的に10年ほど、いじめられっ放しだった。
そして「加害者」は複数だった。
今なおどの件の「主犯格」の氏名も諳んじられる。
しかし、やっと、彼らへの処罰感情を手放せた。
自分に残る傷跡には関わらず。

恐らく彼らに加害の記憶はない。
それどころか私が存在したという記憶もないだろう。
単なる子供の気まぐれが思い出にはなるまい。
たまたま出会った蟻を踏み潰したようなものだ。
それがたまたま蟻でなく私だっただけだ。
黒くて些か異質なので目に付いた、ただそれだけ。
その攻撃の動機に恨みも怒りもなかっただろう。
まして「被害者」が法的な訴えも自殺もしなかった。
よって何ら「罪」の「証拠」もない。

思い出しても不快なだけ、忘れろと言うのは易い。
しかし忘れたものは意図せず思い出すこともある。
だから、自ら手放すことに価値がある。
自ら。

恵みも災害ももたらす自然を祀った神社。
救いを求める感情を束ね、寄る辺を作った仏閣。
自分ではどうしようもないことがある。
信仰はそのやるせなさの受け皿なのかもしれない。

社格の高い神社や人里離れた仏閣は空気が違う。
空気が違うからそこに築かれたのだろう。
敬意を形にする場にふさわしい空気。
敢えて記憶をとどめておくに堪える空気。
そこに昔の人々の思いを形にしたものがある。
こうした場はもう新たには作れないのではと思う。
すがる気はないが、それでも救いは感じた。

 

 

引っ越し遍歴

身内には趣味だと笑われるが、引っ越しの理由は都度それなりにある。

独立して半年で都心から関西へ引っ越したのは、大学院が目的だった。
準備室が大阪にあり、キャンパスもその近隣にできる予定だったのだ。
その大学院開設そのものが頓挫したことを知ったのは転居した後。
大学の恩師に尋ねてみたところ、関係者に確認してくれたが。
ともあれ西の実家の近くということもあり、街の居心地はよかった。

4年目の夏、家人が関東へ行こうと言い出した。
彼の作ったサービスで取材の打診が入るようになったからだった。
実際、雑誌やテレビの経済番組などに少しは露出している。
それでもメディア露出には東京(にすぐ出られること)が有利だと。
さりとて「都内にはもう住みたくない」。
東京市部と横浜の郊外を見て回り、秋に横浜の南端へ引っ越した。

横浜の南端は公園もあり海も近く、「いい環境」だった。
麹町には些か遠かったが、半月ほど通うのに支障はなかった。
その上ご近所で、とてもよくしてくれる人にも出会えた。
しかし平穏な日々は1年も続かなかった。
隣の建物から夜な夜な叫び声がしだして、日に日にその時間が延びた。
夜が休めなくとも昼さえ静かなら、と一時期は思っていた。
その昼さえ奪われた。
が、相手が「弱者」なので致し方ない。
家人はできる限りの対応をしてくれたが、それも限界に達した。
「せっかく賃貸なんだから、逃げだそうか」

近所が騒がしいときの逃げ場を確保すべく、横浜の中心部に越した。
ほとんどの用事が徒歩で済む、恐ろしいほど便利な場所だった。
いかんせん、暮らすうち治安が気になりだした。
そこにとどめを刺したのが4年目の猛暑。
物件の制約で仕事部屋に空調がつけられなかったのでばててしまった。
半月ぐらいならば田舎に避暑もできるが、暑さがいつまでも引かない。
「暮らしやすいところに行こうか」

そして神奈川県某所。
日常の用事は徒歩で済み、都心には乗り換えの要らない場所だった。
歩き煙草もなく、車は道を譲ってくれる、安心できる街。
近くこそないが沿線には遊んでくれる先輩もいた。
難点は旅に出にくいことぐらいだった。
それも前の物件が便利すぎたゆえの贅沢に過ぎないのだが。

今回が最も正当性を欠く引っ越しだったかもしれない。
都心への所要時間が悪化しない条件で、帰省しやすい場所へ。
乗り換えが減って東西どちらにも各段に帰りやすくなった。
物件も相対的に新しいので申し分ない。
野菜が安く手に入る。
欲を言えばもう一つぐらい気に入る理由が欲しいところだ。
この街で暮らす必要性は特にないのだから。

ないない尽くし

JTF翻訳祭に初めて講師として参加してきた。
思いつく限りの事前準備で臨んだものの、反省点ばかり記憶に残る。

  • 自己紹介が皆無で自分が何者か伝えられなかった
  • 聴講者層の想定ができていなかった
  • 話の間が持たなかった
  • 会場の積極性を引き出せなかった
  • こうして並べてみるにないない尽くしだ。
    勉強会の発表者すら務めたことがない自分には舞台が大きすぎたのか。
    少し考えれば分かりそうな一番の基本を見落としていたということか。

    時間の都合が付けば聞いたのに、というお声もいくつか頂戴した。
    しかし社交辞令なのか本当なのか、聞き出す勇気も技能もない。
    人と話す力が圧倒的に足りないのだと痛感した次第。

  • 交流パーティーでほとんど名刺交換ができなかった
  • 翻訳とFPどちらで売り込むこともできなかった
  • 何らかの専門家以前に、社会人、人としてなっていない。
    我ながらよくぞここまで生きてこられたものだ。