遊び

自分に厳しい、自己評価が低すぎるなどとよく言われる。
社交辞令でなかったら買いかぶりではないかと思う。
素直に自分の時間、自由を享受できていないだけだ。
とはいえその自分をわざわざ貶めたり蔑んだりしているつもりもないのだが。


久々に手持ち仕事がある状態で「遊び」に出かけた。
先週火曜に受注しておきながら作業開始に待ったのかかっていた案件。
担当範囲が削除される見込みと聞いていたので原稿の整理だけにとどめていたのだが、
月曜の朝に本来どおりの内容で進めるよう正式連絡が入った。
所定納期は来週月曜だが、開始遅延分を反映させてくれるよう打診。
A4で50枚を超える規模なので、どのみちすぐには終わらない。
いつもなら、終わるまでひたすら仕事漬けになっていた。
今回は、開始連絡だけで待たされるのが厭になったので、エステの予約を入れていたのだ。
当日にキャンセルすると勿体ないので、適当なところで作業を中断し外出した次第。


地下鉄の一駅分だけ歩き、目新しい町並みを眺めると存外いい気分だった。
若い人から元気をもらおうなどと思っていたわけではないが、結果としてそんな感じに。
ふと、このタイミングで来てよかったと思った。
息抜きは疲れ切る前に挟むのが正しいような気がする。
今回はせいぜい一日半の実働で、疲れと言っても知れているのだが。
リンパを流してもらいすっきりしたせいか、帰りは暑さも気にならず軽い足取りだった。


このところ、仕事と暇つぶしで日を送っていたことに気づく。
休憩も娯楽も、予定の楽しみもなかった。
決して多忙だからではない。つぶすような暇はあったのだから。
活力の低下を感じていた原因は、この張り合いのなさにあったのかもしれない。
全く贅沢な話なのだが。
この年(年齢というよりフリー歴)にもなってまだ、時間の使い方が下手で困っている。
何か予定を立てて自分に予約を入れてしまうという方法も有効かと思った。
いかんせん、仕事ぐらいしかやりたいことがないのも事実なのだが。
息抜きに誘ってくださる方があれば、今後ほぼ無条件で歓迎するつもりではいる。

BGMないし類似した何か

以前は翻訳作業中にBGMをかける習慣がなかった。
趣味で邦楽ロックしか聴かないもので、歌詞が邪魔かと思いこんでいたためである。
ところが、むしろ歌いながらでも平気という同業者の話を聞き、試してみた。
流石に自分で歌ってしまうと神経がそっちに行ってしまい仕事が進まない。
聞いているだけなら大丈夫かというと、どうも曲によって違うようだ。
一曲ごとにというほど細かい単位ではなく、恐らく作曲者か編曲者の単位。
だいたいどれが安全か把握できてきたので、再生リストにしてみた。


何故BGMをかけることにしたのかというと、騒音のマスキング目的である。
仕事部屋が共用廊下に面しているので、網戸にするとご近所の声が気になるのだ。
無論こちらから音を漏らすわけにもいかないので、ヘッドホンを使っている。
電話が鳴れば気づく程度の音量にはしているが、たまにインターホンは聞き逃してしまう。
ずっと在宅しているのに不在連絡票が入っていると非常にばつが悪い。


一方、仕事中に電話が鳴るとやはり集中が途切れてしまうが、メールは意外と平気だ。
更に意外なのは、ついったーの読み書きをしていてもほぼ不都合がないこと。
仕事の進め方からして細かい中断には耐えやすいせいもあるのかとは思う。
例外は、一見して不快になる発言が目に入った場合。
流石にわざわざ厭なものを見たくはないので、そういう場合は画面を閉じる。

書き入れ時は唐突にやってくる

先週、副業でお世話になっている会社の関係者から引き合いがあった。
ここ数年やっている某社の定期アンケートについて。
作業量こそ具体的な数字があったが、例に倣って?報酬は「去年の同社と同等で」である。
それで引き受けてしまう私も私なのだが、後で調べないといくらだか把握できていない。


去年までは終日そちらの作業に没頭できたのだが、今回はそうはいかない。
毎朝やってくる朝刊翻訳は急に休めないので、朝はそちらに集中せざるを得ないのだ。
こういうとき、時間の拘束が痛いと感じる。
嘆いていても仕方ないので、暇を潰しつつ原稿を待っては片付ける。


幸い、ダンナに余裕があるようで家事をしてもらえることになった。
買い物も夕飯の支度もお任せ。ありがたいことだ。
半端に手出し口出しするよりは完全に任せた方が彼も楽だとのこと。


これなら午後の時間をまるまる使えるぞ!と思っていると。
ついったーで初めて中文和訳の引き合いが来た。
原稿を見た上でこちらが条件面を提示できるという話だったので一安心。
素直に今週は稼働できない旨を伝えたが、問題ないとのこと。


とか何とかやりとりをしていると、なじみの翻訳会社から定期案件が来た。
こちらは定期と言っても毎月あるとしか分かっていないのだが、ご指名なのは分かっている。
客先からの評判がいいとまで言われているので、急ぎでも忙しくても断れない。
副業に本業が割り込むという奇妙な事態に陥りながら、どうにか訳文を提出した。


とまあバタバタしているが、実はよくあることだったりする。
どういうわけか、S社に仕事をもらうと、その後しばらく本業が繁盛するのだ。
何かの本に「運気を上げるには強い人と付き合え」とあったが、こういうことだろうか。

なんにもない一日

旅行の最終日なのだが、すっかり「外こもり」で観光らしいことはほとんどなし。
朝食後、チェックアウトぎりぎりまでホテルの部屋で過ごし、博多はうろつかず地下鉄へ。
昼食を天神の新天町で摂りがてら、少し散策した程度だった。
PCを背負ってごそごそ移動するのにも抵抗があったうえ、右足の小指に違和感。
心当たりはないのだが、誰かに踏まれたような痛さが治らない。
ダンナも疲れているようなので利害は一致していた。
早々に福岡空港へ移動し、ラウンジへまっしぐら。
ビジネスルームと称してPC環境の整った別室があるので、その一角に陣取る。
羽田や伊丹のラウンジにあるビジネス席より幅がゆったりしており、なかなか快適だった。
そんな環境に籠もって何をしていたかというと、翻訳仕事である。
28日に連休明け納期の仕事をもらっていたのだが、流石に昨日まではほとんど進めていなかった。
せっかくの旅先で籠もって進める必要があるほど大量ではないので開いていなかったのだ。
朝晩の暇にちょこちょこ作業してはいたものの、いつもより早く寝たり朝湯に浸かったりしていた。
それはそれで快適だったので何ら悔いはない。
動きたがらない自分のせいかとダンナが気にしていたが、そうではない。
ビジネスルームのような「仕事ぐらいしかすることがない」環境というのもたまには悪くないな、と思った次第。
かと言って通勤0分の生活も捨てがたいので事務所を借りようとまでは思い至らないのだが。
開発合宿のまねごとで無駄に外泊カンヅメ仕事でもしてみようかしらん。

習うより慣れろなのか

ついったーでは何度か「つぶやいて」いるが、最近どうも国際電話が多い。
電話をよこす三人とも訛りのない中国語なのはいいが、とかく早口で聞き取りにくい。
おまけにリビングからこまの叫び声が入ること入ること。
どうも「他人と話しているのにかまってくれないなんて!」とお怒りらしい。
流石にその悪条件にも少し慣れてきて、訥々とながら返事ができるようになってきた。
あまりうろたえず答えているので、あるいは片言に聞こえないかもしれない。
…しかし留学していたのが学生の頃なので、仕事上では失礼にあたる物言いになるのかは自信がない。


メールは英語で来ることも中国語で来ることもある。
毎朝の原稿受領通知は早さが肝なので、「received」しか書かない。
納品するときは紋切り型ながら丁寧に英文でその旨を通知する。
発注金額がおかしいとか、来週に休みがほしいとか、英中どちらでも書けるようになった。
書くだけの能力というより根性が身についた感じ。
とりあえず用は足せているのでよしとする。

早起きでも不規則

朝刊記事の翻訳案件を始めてから1ヶ月あまりが過ぎた。
早起きになったかと言えばなったのだが、規則正しい生活にはなりきれていない。
夕食後、無性に眠くなることが多くなってしまったのだ。
抱えている仕事がなければそのまま寝てしまうこともある。
ダンナに到っては、いつでも寝て、気が向いたら起き出し、また寝るという始末。
何がどうなってこうなってしまったのか。
睡眠リズムを何とかする方法として早起きに期待していたが、何か違うらしい。

仕事を選ぶ権利

お勤めの方々にはよく「フリーっていいわね」と言われる。
自分で仕事を選べて、自分の時間でできて、他人(恐らく上司)の指図を受けないのが羨ましいらしい。
が、私はそういう人々に対して独立を勧めようと思ったことはない。
上記「自由」のいずれもが結局は程度問題だからだ。
恐らく、勤め人でも自分で仕事を選べる人は一定数いる。
そのツケを背負う羽目になって仕事を選べない人も一定数いると思う。
同様に、ではないが、フリーでも仕事を選べるとは限らない。
そもそも、選べるほど仕事があるのかという問題がある。


・大前提となる仕事依頼の件数
 努力の余地は否定しないが、外部要因やら運やらの方が強いのではないだろうか。
 発注元とフリーランスの関係は上司と部下ではないので、相手にも選ぶ権利が存在する(しかも強い)。
 さしあたっては地道に堅実に依頼をこなすぐらいしか、少なくとも私にできることはない気がする。
 仕事を作り出す能力が十分にあれば話はだいぶ変わるだろうが。


・報酬が手間暇に見合っているか
 そもそもの依頼が少ないと、ここでの選択の余地はない(生業であれば)。
 また、たいていの場合、複数の仕事を同時並行というわけにはいかない。
 機会損失リスクを検討した上で、目の前にある依頼を受けるべきか考えなければならないのだ。


いずれも至極当然のことだが、勤めている頃に意識したことはほとんどなかった。
何しろ勤めているときは勤務=仕事=報酬源だったのだ(これまた当然だが)。
業務=仕事でもなければ、事業=仕事でもなかった。
それが今は、概ね事業=業務=仕事である。(報酬までは等号で結びがたい)
確かに「自由に選べる」のだが、決して気軽に選んでいるわけではないのだ。
なかなか本意を伝える術がなくて歯がゆいところではあるのだが。

アジアな街

先日、西日本セミナーで出会った人に「上海ってパジャマで出歩く人がまだいますよね」と声を掛けられた。
確かにその光景を初めて見たときは私もたいそう驚いたものだが、実は今いる街でも見る光景だ。
「日本なのに……!」と驚いた記憶はある。
意外なほど若い子たちが、パジャマで歩くどころかチャリンコに二人乗りしていたりするのだ。
上海ですらパジャマで歩く若者はいないのに。


そういえば商店街の奥にある「市場」の雰囲気も中華圏のそれに似ている。
やたらごちゃごちゃとしていて照明が少なく、それでいて何だか明るいのだ。
違いはと言えば売り子の年代ぐらいなものか。
値段が表示されていないのにお客も気にせず買い物をしていたり、色々な匂いが混ざっていたり。
ふと「ここで日本語って通じるのかしら」と思ったことすらある。
普通に考えれば日本語しか通じないはずなのだが。

プーアル茶の威力

昼に何だかこってりしたものが食べたくなったので、街の中華屋へ行った。
普段ほとんど油ものを口にしないので、たまに濃いものが恋しくなるのはいいのだが。
パラパラに仕上がった炒飯は確かにうまいが、口の中やら喉やらに油が残った感じがする。
大衆食堂っぽいところであまり期待してはいけないのだろうが、お茶はなく水しか提供されなかった。
帰宅したらすぐお茶を淹れようと思っていたのだが、我慢しきれず歩く途中でウーロン茶を購入。
飲むとそれなりにすっきりするので、あの店では是非ウーロン茶を提供すべきだと思った。


それでも何だかむかむかするので、帰宅後、やはりプーアル茶を淹れることに。
今あるのは西部印象とかいう雲南省ブランドの3年物だ。
プーアル茶のくせに苦いので少し飲みにくいかも、と思っていたのだが今回はむしろそこに期待。
いざ飲んでみると、一口で「!」のすっきり感。さすがだ。
喉から油が取れる感触は、薬かと思うほどだった。
これは飲み続けたら痩せるかもしれない……というのは期待しすぎだろうか。

住所が余りに長いので

現住所は一年前と比べて文字列が倍ほど長い。
地番までの漢字だけで11文字もある。
まして英語表記すると、10.5ポイントでもA4の1行に収まらない。
住所を書く機会などそうそうないと思っていたら案外あるので、
対策を二つほど打ってしまった。
・住所角印
・PDF編集ソフト
前者はオフィスデポに発注した。電話番号とダンナの氏名も別の行として作成。
使用頻度が高いのはやはり住所+自分の氏名。
会社やら役所やらの定型書面に押しても今のところ文句を言われないので便利。
後者はジャストシステムからダウンロード購入した。
アドビのを買うとかパッケージ版を漁るとかいう選択肢は一応あったものの、
急に使いたくなったので「まともなダウンロード版」で落ち着いた。
ちょっと使ってみたところ操作感はアドビのAcrobat Proと大差ない。
行き当たりばったりの割にはいい買い物をした。