本来の演題は「翻訳者のためのオフィス環境アセスメントと健康アドバイス 」だった。
投影されていたスライドが英語版で講義は日本語という特殊な進行。
講師のユウノ・ディニーさんは「踊る翻訳者」で、どう見ても運動不足ではなさそうだが、RSI(反復性過労障害)の前歴があるそうだ。
翻訳業は動かない、ストレスが貯まる、(物理的には)単調作業の連続。
肥満…やけ食い?→生活習慣病、DVT(血栓症)、腰痛、肩こり→頸椎ヘルニア、RSIの恐れが。
RSIは上半身ほぼ全域に及ぶ。翻訳作業でテニス肘(講師の実体験)になることも。
主な症状としては腫れ、むくみ、可動性低下など。
疲れが一晩で抜けない、手が冷える、荷物を避けたくなる、手が震える、痛いといった前兆がある。
RSIに陥りやすいリスク要因は、病気や怪我の経歴、まじめすぎる性格、作業の重複(趣味も含む)、姿勢や手の角度などの固定、、作業環境(道具の配置)、ストレス、休憩不足など。
RSIの予防について、労働環境を整える欧州指令はあるが、日本の法律は特にない模様。
尤もその欧州指令とて、雇用者にかかる義務である。
フリーランス翻訳者は自分が雇用者なので、自己防衛はどちらから言っても当然か。
「人間は事務作業をするイキモノとして設計されていないので、エルゴノミックな事務用品は欺瞞」
RSIの予防手段には、作業環境(机、椅子) 入力デバイス 就業/生活習慣 の改善がある。
まず、自分の体格に合った椅子の入手が無理なら、椅子の調節を。
座面高、背もたれの角度、モニターとの距離(キャスターで動かしやすいか)が調節要素。
腕の伸ばしすぎ、モニターと資料の配置にも注意(ねじれ姿勢による負荷)。
モニター(複数ある場合は主に使う方)は体に正対させ、ねじれ姿勢を予防すること。
モニターの高さはきちんと座った時の目の高さより少し下。
肘は直角や鋭角にならないように。
ノートPCだと、モニターとキーボードの位置が「あちらを立てればこちらが立たず」なので要注意。
自宅環境の場合はノートPCでも外付けキーボードをつなぐべきか?
背もたれはほぼ必須で、おおむね肩甲骨の高さ。
腕などの疲労を予防するため、すぐ使うものは近くに。
姿勢は他人に見てもらうのが一番。
書き物とタイピングでは適した高さが違うので、机または椅子の調整を。
足が床に着かない場合は台を利用。
机と椅子はセットで具合を見て買うのが吉。
アームレストは一長一短、環境による。(椅子の移動を妨げないのが前提)
マウスでの作業はキーボードよりも単調なので、ショートカットキーなどで適宜回避を。
ただし「同じ作業、同じ姿勢の繰り返し」は禁物なので、取り混ぜるバランスが肝。
奥向きに傾斜したキーボードトレイがあると、手首の負荷軽減によい。
就業習慣、生活習慣の改善も重要。
特に強調されていたのは休憩の重要性。
しっかりと席を離れて、めりはりよく休憩すること。
そのためのリマインダーソフトなどもある。
もし休憩中に電話が鳴っても取らないぐらいでちょうどよい。
そこで休めない性分もRSIのリスク要因なのだから。
PROJECT Tokyo 2010第三講 翻訳会社の作業の流れと翻訳者に期待すること
13:30-15:00の講義は、 (株)東輪堂の香村美弥子さんによる、翻訳会社の仕事概要について。
翻訳会社での勤務経験がないこともあり、個人的には本日の大本命。
講師の方は翻訳会社の社員ながら、フリーランス翻訳者のご経験あり。
そのせいか、かなり翻訳者に同情的な配慮や仕事の手配をしていらっしゃるのが随所で光っていた。
東輪堂が新規登録者をスカウトするのは、特需が出たとき、予備の両方。
予備でスカウトされた場合は実際の案件発注に結びつくのが往々にして遅くなる。
と言うのは、想像に難くないことながら、つきあいの深い順から発注することになるためだ。
ちなみに、この「つきあい」には年賀状や贈答品は含まないとのこと。
ただ、東輪堂のほうから声がかかったら、仕事の脈はある。
日英ではご本人の経験上、JAT〉ATA〉Prozの順で候補者の質を信頼しているそうだ。
希望は経験2年以上。未経験でも自言語に見るべきものがあれば採用。
主に英日登録希望者の日本人の場合は日本語、訳文だけでなくメールの印象も影響。
トライアルでは、原文の意図を把握する精度、訳文の読みやすさを重視とのこと。
用語を調査する、正しく使うというあたりは当然と見なしているようだ。
トライアル合格者でも、最初の本番がひどいときはフィードバックしない。
脈ありの場合のみ、現実的に改善可能な点のみ具体的に赤入れして返す。
翻訳者の選定は分野×コスト。
会社から見たコストには校正の工数を含むため、報酬額が安ければよい訳ではない。
直しが少なくて済む翻訳者には、高めに支払っても割安になる場合が出てくるのだという。
東輪堂の体制として、大型案件ではコーディネーターの上位にエディターを配備する。
エディターの役割は、主にDTPオペレータなどとの連絡。
案件の規模に関わらず、チェッカー(校正担当者)は必ずいる。
東輪堂のチェッカーは自言語しか上書きしない。修正を促すコメントのみ翻訳者に返す。
社内翻訳者と軋轢を生じた経験から、他言語の赤入れはしないのだそうだ。
チェッカーは未熟なほど(手加減ができないため)赤入れしたがるとのこと。
自分が働いているんだという主張が出てしまっているのだろうと邪推。
予算が少ないとき、翻訳者の報酬を削らない主義のため、校正の工数を削ることになる。
その場合、逆の意味になったり数字が狂ったりしていないかを重点的に見るとのこと。
校正の工数に実際どのぐらいを見込んでいるのかという質疑応答あり。
翻訳納期1日のとき校正は半日と見積もるが、安全を見込むと待ってもらう期間は3日。
不況になってから相見積もりを取られる頻度が上がったそうだ。
客先納期に余裕がない場合は翻訳者の予定を押さえてから見積を提示するのに失注することも。
いざ原稿支給の直前となってからキャンセルされることもしばしば。
(5件も連続したことがあるというのだから、翻訳会社も大変だ)
なし崩し的に質疑応答。
Q:チェッカーとして採用した人物を翻訳者に育てるか?逆の場合はあるか?
A:翻訳がうまい人だからと言ってチェックがうまいとは限らない。
必要な資質が違うので、少なくとも東輪堂では下積みとして校正をさせることはない。
Q:おかしな内容を含む用語集が出てくるのはどうして?
A:客先から渡されたものを翻訳者に丸投げしている場合、えてしてそうなる。
Q:報酬額に合わせて訳文の質を下げるなんて、翻訳者にはできない。どうしたらいいの?
A:存外に難易度や負荷の高い内容だった場合は翻訳会社に交渉してみること。
即座に報われなくとも、次回以降に色を付けてもらえる場合あり。
翻訳会社が翻訳者に望むことは、至って当たり前のことだった。
・校正の手間がかからない訳文を提出すること
・リピート発注を呼び込む、客先に喜ばれる訳出をすること
PROJECT Tokyo 2010第二講 What to Look for in Translation Memory Software
PROJECT Tokyo 2010の第二講は、「What to Look for in Translation Memory Software」に出席した。
題名からして、資料も含めて全編が英語での講義。
1時間も英語しか使われない講義を受けたのは、生まれて初めてのような気がする。
前提として出席者は英日か日英の翻訳者または翻訳を志す学生なので致し方ないが。
言及があったのはFelix,Trados,DVX,OmegaT、それからWEBアプリケーションであるWordfastAnywhere。
まずは操作画面の特徴が紹介された。DVX,OmegaT,MemoQは専用エディタで左右対訳。
SDL Trados2009は触れられていなかったが、この類型である。
正直なところ、遠目にはどれも似通った顔立ちであまり区別が付かない。
上下対訳形式での表示だったのはWordfast Anywhere。
講師のご自身のお気に入りは「書式不問ならMemoQ、書式ありならFelix」とのことだった。
両者とも、用語管理機能がかなり直感的で親切にできている。
用語集を使用している場合、原文の当該箇所が自動で強調表示。
また、強調表示された任意の箇所を選択するだけで、右側の別窓に訳語が表示される。
MemoQでは、QA(訳語ゆれなどのチェック)機能も分節単位で行いやすいよう、対訳画面内の各行に各種ボタンが配置されていた。
用語集の活用だとか、訳文内での表記の確認だとか、かなり省力化がされている。
ただし、日本語などの言語では検索精度がいまいちらしい。
(一文字に使われる情報量の違いや、単語と単語の間にスペースが入らない表記法のせい)
またMemoQでは、翻訳メモリの分節にAttribute(属性情報)を付記して、一つのファイルでも用途別や客先別に使い分けることができる。
Felixではそれがないのか、案件ごとに翻訳メモリを作成するとのことだった。
いかんせんMemoQは多機能すぎるのか、肝心の作業画面に至るまで三枚の画面遷移があり使用感がやや重いらしい。
【感想】
手元のTrados2007で間に合ううちに敢えて乗り換えたいというほどのものはなかった。
ただ、Tradosシリーズは重くて機能がありすぎ、サポートも利用しにくい上に高い。
Trados2007指定案件の引き合いがなくなってきたら、PCを買い換える機会でFelixに乗り換えようかと思った次第。
PROJECT Tokyo 2010第一講 煙のないところに火を起す
日本翻訳者協会(JAT)主催のセミナー複合イベント、PROJECT Tokyo 2010に参加した。
第一講(9:30-10:30)は、松尾譲治さんの「煙のないところに火を起す」。
前提として
・翻訳会社を介さない直接の取引先があること
・専門分野が確定していること
とあったので、自分が対象外なのは明々白々だったわけだが。
背景は昨今の不況ということで、初めに翻訳者のとれる不況対策を列挙。
・取引先を増やす→需要自体が少ないので即効性は期待できない
・料金の引き下げに応じる→薄利多売になって労働負荷は上がる
・対応分野を広げる→中長期的には有利ながら、やはり即効性はない
上記の手段は、この仕事をしていればほぼ誰でも思いつく処世である。
そうではない一手、需要の開拓をいくつか紹介するというのが本講の主旨だった。
訳文の納品という通常の価値を超え、顧客に利益を提供すること。
翻訳作業そのものの特質から、翻訳者は客先の利益につながる情報を提示できるはず。
と言うのは、
・技術や市場の情報を照会、検索する能力
・他社業務の経験による、競合や業界についての知識
といった言わば翻訳の副産物が、相手によっては貴重な情報になりうるのだ。
市場や競合の情報を提供することで、客先に事業展開の需要が生じうる。
いったんその事業が展開されることになると、情報源として重宝される。
「この件について詳しいこの人に、追加情報の翻訳を頼もうか」
「話の分かっている人に通訳(ないし通信文の翻訳)を任せたい」
「情報を握っている人に、もっと深く(商談の手配など)関わってほしい」
などの需要が喚起できればしめたもの。
当該プロジェクト専任の翻訳者になれるばかりか、そこからもぎ取れる信頼と需要は従来より大きくなるはず。
では、情報提供に至る前段階として、すべきこと、できることは何か。
まずは調べれば分かる事項の予習である。
・業界内における顧客(企業)の立ち位置
・所属業界の動向
・顧客(企業)の組織体制、社内構造
これらを押さえておくだけで、話し相手からかなりの信頼を得られるという。
「事情が分かる第三者」と認識してもらうことが最初の目標となるのだ。
そうすると、社内では言いにくい、下手に口外できない、内々の話を聞けるようになってくる。
愚痴の中に改善できそうな点を見つけたら、低姿勢で改善提案を申し出てみる。
そうしたことを積み重ねていくうち、講師ご本人は二社から「技術顧問」として遇されることになった。
余談として出てきた話に、「社内の組織名は電話で問い合わせてしまえ」という技があった。
ISO認証を取得している会社では、その規定のため組織図が公開用に整備されている。
ホームページなどで組織図まで見られなかった場合、そのISOにかこつけて電話で聞くといいのだそうだ。
固有名詞の英文表記なども、見当を付けて「XYZ Dept.ですか?」などと聞けば「いいえZ of XY Dept.です」といった正解を教えてもらえる。
ついでにそれとなく自分を覚えてもらえる「副作用」を見逃す手はないとのこと。
(インターネットで情報収集していては、こうは行かない)
講師いわく「偽コンサル」で喚起しうる需要は概ね三つ。
・製品関連の規格類+市場情報→説明書、マニュアル類
・技術の理解+業界情報→客先と第三者との提携こもごもに関する通翻
・顧客の内部目標+人脈→第三者の紹介
この「第三者の紹介」が何を指すかというと、人脈があれば、自分にできる以上の仕事も断らず引き受けうるということだ。
例えば自分が得意なのは製造技術なのに、人事のことで相談を受けた場合。
そこまで築いた信頼の上で第三者を紹介しても、客先に角は立たない。
さらに仕事を紹介した先の相手がこちらへ別の仕事を紹介してくれる可能性もある。
講師が「偽コンサル」の業務で重視していることの優先順は、いわゆるリアル>ネットである。
見本市/打ち合わせ/交流の機会>>インターネット
【感想】
ともすると下調べから納品までがインターネットだけで済ませられるのが昨今の翻訳業。
それに慣れてしまって実際に足を運び人と会う機会はなくとも生活が成立してしまう。
ただ、それではせいぜい世間一般の翻訳者として景気に翻弄されるばかりなのも確かだ。
とは言え、外に出るのも億劫だし、人に会うのも怖いのはどうしたものか。
最高の八方美人(当社比)の顛末
PROJECT Tokyo 2010に終日参加、交流会にも出席してきた。
セミナーの聴講内容そのものは、ツイートで吐き出したあれこれを後日まとめることにする。
全体的な感想としては、かなり面白かった。
忘れないうちに書き留めておきたいのは、対人関係と感情の記録。
受付開始の十数分前に会場到着。まずは運営側の顔見知りに挨拶。
勝手が分からずきょろきょろしていると、背後から声がかかった。
昨日お会いした皆さんのうちのお一人。寝不足とは思えない爽やかな笑顔だった。
二人で立ち話をしているうちに、一人また一人と見覚えのある顔がやって来る。
受付から第一講までしばらく時間があるので、休憩室に移動してしばし談笑。
第一講に向かう時、どれを受講するか決めかねていた二人が一緒についてきて並びに座った。
第二講もほぼ変わらぬ面子で並びに着席。
講義が英語で行われていたので、何度か左右の方に助けていただいた。
意外だったのは昼休み。
前述の二人が私と同じ講義に出ていたのは、実は昼食を共にする予定だったからである。
待ち合わせで迷うよりは並んでおくよ、ということで午前の講義を選んでしまったらしい。
その三人でさて昼食に出ようかという段になって、「ご一緒していいですか?」と声が。
昨日お昼をご一緒した別の方が二人、流れにはぐれたようにやってきた。
断る理由もないので合流を受け入れると、更に意外な方向から声が。
何と以前JTFセミナーを受講した際の講師だったお方である。
顔と名前を覚えていてくださっただけで光栄、と言えるほどの有名人。
流石にちょっと不思議だとは思ったものの、まあ緊張して困ることもないかと思って受け入れ総勢六人。
この新顔(失礼!)を皆さんに紹介するや、すぐにうち解けてしまった。
セミナー参加者の殆どが高輪口で団体行動をする中、私の一行だけが港南口へ。
土曜のビジネス街は閑散としているので、駅前のカフェでもゆっくりできるだろうと読んで移動した。
少しだけ不安はあったものの、読みは的中。六人が離れることなく席を確保できた。
初めましてやらお久しぶりやらと名刺が交わされるうち、何故か12月のJTF翻訳祭に誘われる。
何でまた遠方の私を東京に誘うのかと尋ねると、「だって有名人だし、集客力が」…有名人?
本来、私なんぞの数桁上の知名度があるはずの御仁に、有名人だなんて思われているとは驚きだった。
ついったー上でお見かけすることはあるものの、滅多に会話もツッコミもしない間柄だったのに。
昨日の前夜祭(訳あって私は欠席)を案内するページの盛り上がりようを見て、そう判断されたのだという。
正直、開いた口がふさがらなかった。
まぁ狙いがついったー上での広報ぐらいなら、おやすいご用なので引き受ける。
流れでJTF翻訳祭にも参加する運びになってしまったかと思われる。
今年は東京に出すぎだと思っていたのに、もう一度か。
まあ翻訳祭も例年とは違った趣向で、分科会形式になるようなので面白そうではあるのだが。
最終講の後、参加者の過半数が公式の交流会へ。
受付のすぐ傍に見知った顔があったので、そそくさとその隣に詰めて座ってしまった。
どこの通勤電車かと思うほどの人いきれにくらくらしてしまい、ほとんど何も食べていない。
いっそ片隅の席で小さくなっていようかと思っていたのだが、そうは仲間が許してくれなかった。
この日のために用意していたチャイナドレスは披露するべきだと四方から唆される。
やっとのことで人波をかき分けて化粧室へ行き、着替えて戻ると微妙な反応。
軽く後悔しかけたところで、お会いしそびれていた取引先の方が現れた。
日中ずっと見かけなかったし、交流会でも探し出して声を掛けるなんて無理かと思っていたのだが。
席にありつけず迷い歩いていたら、チャイナドレスが目にとまってやって来たとのこと。
ちょっとは目立った甲斐もあったというものだ。
同席者に軽く彼を紹介し、再び名刺が頭上を行き交う状況に。
ふと気づいたら、同席者の顔ぶれが変わっていた。
慌ててこちらも名刺を差し出し、「存じてますよ」と言われて複雑な気分。
私が先日Ustreamに出ていたので、見ていた人は一方的にこの顔を覚えているのだった。
実はその状態を想像するだに耐え難く、前夜祭から逃げ出してしまっていたのだが。
公式の交流会がお開きとなり、何となく四人ほどで固まっていたら、またしても人数が倍増。
「人徳だよ」と笑ってくれる人もあるが、自分の回りに人が集まるというのはやはり慣れない感覚だった。
前から約束のあった人にタロット占いを披露すると、後に続く「お客」が三人。
皆さん物好きねと苦笑しながらも、まあそれぞれ喜んでご納得いただけたようなのでよしとする。
それからしばらく、実は一人としか碌に話していない。
今日は楽しかったよね、という話題のはずが人生論になっていたりしたが、何故かしんみりとはせず。
盛り上がりつつも議論を闘わせるようなことはなく。
何だか旧友に再会したかのように長々と話し込んでいたら、不意に泣きたくなった。
一期一会、というほど儚いものではないし、そのまま馴れ馴れしく夜を明かすという勢いでもない。
適当なところで切り上げて電車に乗ると、一旦しまったはずの涙がちらっと出てしまった。
上級なのだろうか
朝刊翻訳で、春先から平日の午前中を拘束されて約半年。
安定して仕事があるのはありがたいのだが、固定の時間を取られるのが苦痛になってきた。
午前中や昼間の行事に顔を出しにくいし、他の仕事が来た時の融通も利きにくい。
だいぶ経済新聞にも慣れてきて翻訳そのものは楽なのだが、仕事としてはいまいちに感じる。
月初にちょうど大変な他の案件があって二週目を休むことにしたので、ついでにしれっと聞いてみた。
「一ヶ月ぐらい余裕を見たら、降板してもいいですか」
そのメールを出した当日こそ「何でまた?」と電話がかかってきたりしたが、受理された模様。
ついては後任候補者の評価をするように、と他人様の訳文が回されてきた。
実はその後任候補者、私が推薦して採用にも関与した人物である。
評価を返して数時間後に本人から連絡があったので分かった。
果たして翻訳会社側はそうした事情を知っているのかどうか。
複雑な気分になりながら、何度かその人物の訳文を添削して返すことに。
私が最初に見た訳文を訂正だらけで返したせいか、「無償訓練ののち採否判断」だという。
事後に送られてくるメールを見ると自信はなさげだが、確実に訳文はこなれてきている。
この調子なら私が今月末で「卒業」するのも夢ではなさそうだ。
すっかり上から目線になってしまっている自分に気づき、しばし愕然とする。
私は他人様を評価やら指導やらできる身分なのか?
まあ頼まれるからやっているわけだし、引き継ぎだと思えば抵抗もないのだが。
中日翻訳の仕事をもらいはじめて8年、独立して3年になるが、何か釈然としない。
流石にもう新人ではなかろうが、それだけ信頼されているのか、されるに足りるのか。
せめて少しでも勉強しようかと、教材を輸入した次第。
日本向け個人輸入
ヤフー・ジャパン(Yahoo! JAPAN)は1日、中国最大の消費者向けEコマースサイト「陶宝(タオバオ)」と提携して「Yahoo!チャイナモール」を開設した。(サーチナのニュースより)
この陶宝網という存在は日本で言う楽天市場のようなもので、たくさんの個人や企業が出店している。
「Yahoo!チャイナモール」は陶宝網との連絡を担い、日本語で中国の商品が個人輸入できるというサービスだ。
ところが、上記のニュースを見てのとおり中の日本語がかなり怪しい。
決済機能に関わるところだけはしっかり日本語で作成されているのだが、商品内容は機械翻訳なのだ。
「思う。霓のはかま/チャイナドレス/白い純棉の黒い絹織物は23#を飾って/類をカスタマイズして」
機械翻訳であることが明示されているだけ良心的ではあるが。
商品分類が分かりやすいとはいえ、個別がこれで大丈夫なのだろうか。
むしろ、この字面が普通の日本人に受け入れられてしまうと私は商売あがったりだ。
「意味が分かるならいいや」を体現すると、極論こうなってしまう。
流石にここまですごい「日本語」はそうそう歓迎されないだろうと楽観しているが。
尤も、値段が十分に安いと思う人が多ければ、サービス自体が支持される可能性は十分にある。
※国際送料抜きの値段で中国の倍額が安いのかどうか。
しかも一部の商品カテゴリ/商品は掲載されていない。
今の時点で断言できるのは、私は陶宝網で十分、ということだ。
進まない日
昼前にゲーム翻訳の案件が来た。
いつもと違うのは、ゲーム内の文字列ではないこと。
取扱説明書らしいのだが、前置きが長すぎてちとつらい。
普通、日本のゲームだったらストーリーに何頁も割かないのではと思う。
これでは文芸分野だ。
#そこの会社には工業分野で登録されている
元から知っている物語が背景なのでどうにか追いつくが、予備知識がなかったら、さぞや辛かろう。
漢文だらけ、固有名詞だらけで、しかも固有名詞が一般名詞とだいぶ紛らわしいのだ。
夕食後にどうにか作業が進み出したと思っていたら、時速換算1頁。
朝刊経済面が時速2~3頁であることを考えると、かなり手こずっている。
しかも報酬は朝刊の7割…経済的にはあまりおいしくない。
報酬と難易度に相関がない悲しさ。
結局こちらには引き受けるか断るかしか選択肢がない。
ま、内容が面白いのでよしとするか。
頼むのも人間、引き受けるのも人間
ついったーの話題。
字幕翻訳をしている人が、登録してから5年も経つ会社に声を掛けられた。
・露骨に学生の尻ぬぐいと言っている
・大量で短納期
・他社での通常料金を提示したら渋られる
という、見るだに黒い案件。
しかしその引き合いの時点で、彼女は引き受けようか少しだけ迷っていたらしい。
「皆さんならどうしますか」と呼びかけがあった。
私はすぐさま反応して「私なら断ります」と書き込んだのだが、他の人はどう考えるのか気になった。
すると、続く2~3人も同様の反応。
「翻訳の相場を破壊したくないので断ります」との書き込みを見て安心。
願わくばそういう人が多くいてほしい。
決して不当に高い料金をむしり取れというのではないし、そんなことはこのご時世ほぼ無理だ。
ただ、せめて、不当に安い料金で翻訳を提供しないでほしいと願うのみ。
・安くて低品質→客先が品質に期待してくれなくなる
・安くて高品質→相場が崩壊する
正直なところ、品質に期待しなくてよいのであれば日本人が和訳をする必要もないと思っている。
そうなると、特に中国語の場合、翻訳料金は簡単に倍以上も安くなる。
日本人として自然に感じる文章という品質の提供が、日本人翻訳者の価値であるはず。
分かればいい、という程度なら今日び自動翻訳でも結構いけるのだ。
なので、私が恐れているのは「分かればいい」水準を求める客先が増えていくことだ。
何だか自分が古くて狭量な人間のように感じてしまうが、否定はできない。
結局、件の彼女は再打診を受けたときに断ったという。拍手。
夜になって、違う方面からまた気になる「つぶやき」が入ってきた。
日本語が絡む翻訳は日本人にしか発注しないよう規制を望み、働きかける人がいるという。
それはいくらなんでもおかしい。
和訳ならまだしも、外国語訳を日本人がするべき理由は特にないはずだ。
しかも競争で仕事を勝ち取るならまだしも、競争を自ら阻害するという発想が信じがたい。
本質的に国際業務であるはずの翻訳で食う人間が鎖国してどうするの。
誰かが間違っているらしい
連休前に引き受けた翻訳の原稿には「速記原稿」とあった。
講演会の全発言を書き起こしたものらしい。
中国語は話し言葉と書き言葉がそれほど違わないのだが、今回はひどかった。
・句点から句点までの間が一文とは思えない長さ
・話が何度も重複する
・構文を素直に訳すと文意が逆になり、前後とつながらない
・固有名詞がどう見ても怪しい
発言者が言い間違えた(または音声としては普通に聞こえた)のか、速記がおかしかったのか。
私の理解が追いついていない可能性も残念ながら否定できない。
それにしても、日本人が講演した内容だったら元原稿を見た方が早いのではと思う。
「答案」が手元にある状態で私の訳文を見たら、お客さんはどう思うだろうか。
訳が間違っていると責めてくるだろうか。
思いがけず、文字しかないことのつらさを感じた。
せめて講演録の音声があれば、どこで話が切れているのか、どういう語調だったのか、判断材料が増えたものを。