お守り

不敬罪級に不信心な私でも、お守りに囲まれて暮らしている。
お守りと言ってもそういうわけで、神社仏閣のそれではない。
腕輪、栞、懐中時計、絵葉書、写真……。
大事な人に頂いた物たちはどれもお守りだと思っている。
あちらはとうに忘却の彼方かもしれないが。


どうにも行き詰まったときは、茶を口に含みつつお守りを眺める。
ため息が深呼吸に変わったら仕事に戻る。
変わるまで、目にしたお守りの物語を回想してぼうっとする。
特にすがったり祈ったりはしない。
大事な人が自分のために下さった物。
それだけでいい。
神仏は拝まずとも、思いや祈りには力があると思っている。
言葉や時間はどうしても通り過ぎて行ってしまうが、媒体はここにある。
思い出すのは自由だ。
下さった方の本意ではないかもしれないが。
少なくとも、たまらない無用感を和らげて癒やしてくれることは確かだ。
「おまもり」と言うより「おもり」なのかもしれない。
ちいさい自分をちいさいまま眺めさせてくれる。
本当は、できることなら、記憶がねつ造に変わる前に更新したいが。

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