今年ほど自由業であることそのものが歓迎されたこともない。
平日に自分の裁量で時間が取れること。
加えて、特定の場所でなくとも業務に支障がないこと。
日曜でも容態は悪化するし休診日でも骨は折れる。
医療機関(の人々)にも休みが必要なのはむしろ切実に感じる。
向き合ってみるまで解らなかったのは、ことは数時間や数日で片付かないという事実。
賢い/優しい人には当然の認識かもしれないが、それだけ長く当人は闘っている。
当人にはいつ何をしようという選択の自由はない。
少しばかりこちらの自由を分け与えてどうにか前に進めないかという話だ。
何とでも言うは易いが。
幸い帰省まわりの事情で納期割れや延長を起こしたことはない。
親が或いは我慢して協力してくれているおかげもあるだろう。
一方で、納期さえ守れば作業時間帯が早朝だろうが夜間だろうが問題はない。
取引先からの連絡こそ日中が多いものの、その応答そのものに時間はかからない。
手元に作業原稿がある限り、業務そのものについてはほぼ自由裁量だ。
普段は時間があればあっただけ仕事に割いてしまうので意識していなかったが。
ワークライフバランスなる横文字を見聞きするたびどこか後ろめたい。
バランスを取る自由があるとき果たして主体的に調整しているだろうか。
通院時間なる制約を受けて初めて自由なるものの欠片が見えてきた。
猫の手であっても間が合えばそれなりの役には立つ。
よく日銭商売だとか時間の切り売りだとか笑われるが、切り売り上等。
切り出しても売らずに差し出す時間だってある。ということにする。