ここ数年、電子書籍の話題と共に浮上する「自炊」行為。
無論この文脈で「料理」するのは食材でなく紙の本である。
これを業者に頼むのは釣った魚を料理屋に持ち込むようなものだろうか。
だいぶ前その持ち込みをした先は「ブックスキャン」というサービスだった。
辞書類は紙が薄すぎて無理ながら、たいていの本はPDFに変換してくれる。
変換してもらっても意外と読まないままだったが、最近になって日の目を見た。
参考文献の出典として漢籍を当たるとき思いのほか便利だったのだ。
まず、どこにあるかがファイル名として検索できる。
本棚であれば好きな順に並べるまで、と思われるかもしれないが、そうも行かない。
十分に広い場所が確保できれば内容ごとに並べることもできるだろう。
しかし我が家の現実では外形寸法ごとに並べざるを得なかった。
例えば『荀子』が見たいとして、その本が文庫か否かを思い出す手間が要る。
図書館で借りる場合に至っては、シリーズ名まで確認しないと実物にたどり着けない。
それが、PDFファイルの名前としてなら当然すぐ見つかる。
あまりにも当然で些細なことだろうが、用あって大量にこなすときは便利だ。
そして、内容そのものも検索できる。
この図は「類を以て」という表現(文字列)で荀子の上巻を検索した例。
検索結果を検索画面(左側)で選ぶと本文(右側)の対応箇所も選択できる。
さらに別の機能ながら本文を文字列としてコピーし、よそで使うこともできるのだ。
特別なソフトウェアを使わず、アドビ社純正の無料のものだけでここまでできる。
この「類を以て類を度る」を見つけるまでに5分もかからなかった。
本が手元にあったとして、見当がつかなければ上下両巻を目で追うことになる。
まして図書館の閉架書庫にあるとなったら、1回の出庫依頼に10分以上。
あるかないかすら分からないものを探すこと自体「筋が悪い」のかもしれないが。
何か本末転倒な匂いも感じるが、ことによっては基本書一式こうしてしまおうか。
手持ちの日本語書籍で辞書以外のものはあらかたPDFにしてある。
残るは趣味に合わないので買っていない類の古典。
趣味でなく実用参考書として買う意義も、ことによっては出てきそうだ。