これまで引き受けた仕事の中で最も難易度が高いと感じたのは料理名の翻訳である。
中国の料理名も日本でのそれと同じように、お店の造語だったりしてその文字列から意味が拾えなかったりする。
まあ造語だと分からないのはともかく、全く一般的な名前でもいざ考えると分からないものだ。
例えば有名な中華料理「八宝菜」をおなじみの翻訳エンジンが知っているのか試してみた。
「八宝菜」を日英翻訳
Google:Eight Treasure Vegetables←漢字を一個ずつ訳しましたね。分かります。
Excite:Eight [takarasai]←途中で放棄?
Yahoo:A Chinese dish containing eight kinds of ingredients←正しい説明文。だが文。
ついでに「八宝菜」を中英翻訳すると
Google:Eight dishes←文脈によっては正しそうな気もするが、よほどの低頻度。
ナンダコノチガイハ。
当てにならないことは一目瞭然といったところか。
Web機械翻訳が対応していないとなると、ひたすら検索するしかない。
受注頻度を考えると料理専門辞書を買うのも合理的ではないし……いっそ断るしかないのか?
日本人翻訳者の需要
先日の西日本セミナーとその後の懇親会で話題になっていたのが中国勢の脅威。
・日本語を学ぶ中国人の熱気が凄まじい
・なかなか流暢な日本語を使いこなす中国人も相当数いる
・企業によっては中国語+英日トライリンガルしか採用しないほど
・とにかく安くて優秀な人材が集まる@大連
…..と続いて、「日本人翻訳者の仕事は奪われてしまうのでは?」という話で盛り上がった。
要求品質と料金のバランスによっては十分ありえる話だ。
が、同じ「バランスの問題」で日本人翻訳者の需要もあり続けるだろうと私は思っている。
現に中国語訳のクロスチェック(日本人から見た妥当性の確認)依頼が来るからだ。
日中翻訳は中国人のほうが高品質になるのは当然だろうが、
それでも日本人(日本語ネイティブ)にしか認識しがたい誤訳が発生する。
・日本語には欧米言語のような「分かち書き」がないため、単語の区切りが明示されていない。
→かな部分の単語区切りの誤解による誤訳
・固有名詞の訳出が不自然になる。
→ビル名や商品名などの造語はその語句だけを訳すと死んでしまう。
→→由来や命名意図が考慮されない訳語になる。
いずれも程度問題と言ってしまえばそれまでだし、そういう誤訳をしない人も存在しうる。
中文和訳となると更に「見た目の自然さ」という難関がそびえてはいるが、
本当に「バランスの問題」だけで我々(私だけ?)が生かされているような気がしてならない。
つなげる先が
夕方7時頃どうにも眠くなったので寝ていたら、しばらくして電話で起こされた。
すわ国際電話かと緊張したが、R社でお世話になったFさんだった。
「また例に倣ってやねんけど…」PCが不調だとのこと。
何か画面を見て対応することになるかもと思い、仕事部屋に移った。
ネットワーク接続がおかしいとのことで、状況を逐次確認。
設定が変わっていた理由は本人も分からないようだが、再設定でどうにか解決。
「これで明日からの出張も大丈夫かしらん」…答えに困る。
解決した問題は家庭内LANの接続なので出張先とは関係がない。
まぁハードがおかしくなっている訳ではないので動くだろうとは思うが。
SBMの通信アダプタがあるでしょ、と答えると「使わなければ0円なのに使うとン千円が…」
大阪人はコワいものだ。
文体診断
ついったーで誰かが紹介していた「文体診断ロゴーン」というサービスが面白い。
ランダムに「診断結果」を表示するのではなく、まじめに例文を解析してくれるのだ。
入力枠に先日の日記を貼り付けて「診断する」を押したところ、下記の結果が出た。
・64人の作家や政治家の例文で、私の日記と最も近かったのが有島武郎(作品は『或る女』)。
・最も(唯一?)好きな吉川英治と一致率ワースト2なのが切ない。
・文章評価は「一文がやや長い」「文章が柔かい」「とても表現力豊か」「とても個性的」
文の長さで評価が低かった。反省に値する。
「文章が柔らかい」は評価Eなのだが、必ずしも低いという意味には捉えていない。
用途に応じて硬軟を使い分けるのが理想ではなかろうか。
詳細結果は以下のとおり。
一致指数ベスト3
名前 | 一致指数 | |
---|---|---|
1 | 有島武郎 | 64.3 |
2 | 三木清 | 64.3 |
3 | 坂口安吾 | 63.7 |
一致指数ワースト3
名前 | 一致指数 | |
---|---|---|
1 | 阿川弘之 | 30.8 |
2 | 吉川英治 | 32.9 |
3 | 石川啄木 | 33.1 |
文章評価
評価項目 | 評価とコメント | ||
---|---|---|---|
1 | 文章の読みやすさ | D | 一文がやや長い |
2 | 文章の硬さ | E | 文章が柔かい |
3 | 文章の表現力 | A | とても表現力豊か |
4 | 文章の個性 | A | とても個性的 |
得点詳細
平均 文長 | 平均 句読点間隔 | 特殊語 出現率 | 名詞 出現率 | 動詞 出現率 | 助詞 出現率 | 助動詞 出現率 | ひらがな 出現率 | カタカナ 出現率 | 異なり 形態素比率 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
粗点 | 35.4 | 22.13 | 6.78 | 21.19 | 9.32 | 33.9 | 20.34 | 62.71 | 0.85 | 51.69 |
偏差値 | 44 | 62 | 32 | 31 | 47 | 74 | 91 | 69 | 50 | 101 |
同じネタなのに
JTF西日本セミナーに出てきた。
質問すらせずひたすら聴講。
内容は昨年末に東京の翻訳環境研究会とほぼ同じだった。
でも講師が東京での感想などを加味して幅を広げてくれたので満足。
統計的手法を利用した機械翻訳の概念や歴史が興味深かった。
そんなことができてしまう電算技術の進歩もすごいが、翻訳に利用するという発想もすごい。
前回?と同様、「お先は真っ暗です」といった内容を満面の笑みで並べる講義だったが、
受講者の表情や反応が何故か東京のときより暗かった。
まぁ翻訳という仕事の性質上、何かに食らいついて這い上がるような性格の人はあまりいまいが。
恐らく、受け身で考えるほど「どうしようもない」気分が昂じて暗くなってしまうのだ。
「そっちがそうするならこっちはこうだ」という反撃の気持ちも意外と大事かなと思った次第。
意外な商品性
現住所に転居して以来ずっと同じパーマ屋を利用していたのだが、ふと近場の店に行ってみた。
地場系チェーンの新店舗が近くにできたので覗いてみようかと思っていたのが一つ。
なじみの店で人事異動があり、私を担当してくれていた店長が出て行ってしまったのが一つ。
どうせ違う人に頼むのなら店を変えてもいいか、と思ったのでその検証を試みたのだが。
検証結果は意外なものだった。
近場の店のほうが安く、予約も要らないのだが、元の店の方がいい。
担当者が変わっても、元の店の方がいい。
我ながら不可思議なことに、パーマ自体にはそれなりに満足しているのだ。
元の店(以降Aとする)と近場の店(同B)とでは料金がかなり違う。
料金はA>1.5Bなのだが、決してAが相場より高いわけではない。
Bはチェーン店らしい合理化で安くしているのだそうだ。
店員の人数はどちらも5人前後だが、店の面積はB>2Aぐらい違う。
Bで何が行われているのかというと
1)担当者制をとっていない
2)予約を受け付けていない
3)パーマの薬液浸透中は客を鏡のない中央席へ移動させる
4)所謂カルテがない
いずれもまあ合理的と言えばそれまでで、特に不快感を覚えるものではない。
が、1)と4)の合わせ技で私は「???」となってしまった。
一人の担当者が一人の客につく必要までは感じていないのだが、
複数人数で対応するのに引き継ぎ用紙がなくていいのか?
仕上がりがおかしくはなかったのでそれで事足りていたのだろうとは思うが。
Aにはカルテがあったし、店長だけでなく2~3人が私の趣向を覚えていてくれた。
しかも注文は毎度「おまかせ」で済んだ。
Bはそうはいかない。長さやらロット径(!)やらも自分で伝えないといけなかった。
恐らくBに通うことになってもそれは変わらないだろう。
今になってAの前店長が言っていた「僕らが作るのは商品ですから」を思い出した。
AにはAの商品性、BにはBのそれがあるということにすぎない。
そして私はAが好みだったのだ、と気づかされた次第。
微妙な収入
ここのところ米ドル建て、しかもPayPal払いの収入が多い。
残高がまとまってきたので出金手数料の心配はなくなったものの、円高が悩ましいところ。
せめて米ドルのまま、銀行口座に移せたら運用のしようもあるのに。
誰か米ドル建てかつPayPalの使える通販を教えてくれないかしらん。
中国茶を輸入するにも在庫の置き場が限られているし。
売り物ではなくても輸入して使えるものがあればそれでよいのだが、
そもそも物欲があまりないので買い物の需要がほとんどない。
唯一いくらでも資金を注ぎ込んできた本とて、本棚の容量が……
痛し痒し。
既定の休日がない
この年にもなって自分で遊びにも行けないとは不甲斐ない。
自由業でありながら日程の自由が利かない。
中国の5月連休が4/30~5/4だと聞いたので早速どこか出かけようかと思ったが遅かった。
日本の人々は既に5月連休の行楽を確定してしまっているらしい。
わざわざ混んで高い日に出かけてどうするの、とダンナが言うのも尤もだ。
「そうじゃない選択」ができてこその自由業冥利なのに。
このところ自分を縛っているのは例の朝刊翻訳なのだが、休みが取れない訳ではない。
一日や二日、休んだところで屋台骨が揺らぐようなものでもない。
ただ、確約している仕事をキャンセルしてまで遊びに行くほどの主体性がないのだ。
それで愚痴を連ねているだけでは何も前に進みはしないことぐらい分かっている。
ただ、受け身になってしまっている今の自分を直視するため書いているのもまた事実。
もっと自分から仕事も私事もしなければ、とはよく思っているのだが。
それにしても翻訳の仕事なんてどうやって取ってくればよいのだろう。
イラスト教室に行ってみた その一
思うところあって、イラスト教室に通ってみることにした。
あまり本格的な専門学校ではついていけそうにないので大阪のカルチャースクールを選択。
受講者層が軒並み親より年上なのはともかく、まあまあ気軽に通えそうだ。
持参品はスケッチブック、4B鉛筆、色鉛筆。
最初にしたことはというと、ひたすら「丸を描く」。
注意事項は、「一筆書きにすること」のみ。
たくさん丸を描いて画用紙をいっぱいにしていくという単純作業なのだが意外と難しい。
描き上がるものが円にならないのだ。
何となく引き始めた線を円にするのはほぼ無理だということに途中で気づいた。
初めに「この位置でこの大きさの円を描く」と意識しないと、後からは鉛筆が制御できない。
何とかたくさんになったかと思ったら「描けばいいってもんじゃない、ありすぎだ」とダメ出しされた。
「色を塗って作品にするんだから、空間とレイアウトを考えないと」なんて後から言われても。
その時は少しむっとしたが、徐々に慣れて同情にも似た理解を示せるようになった。
この教室の講師はイラストレーターなのであり、先生ではないのだ。
「思ったことを後から言う」ことの是非は恐らく彼にとって問題ではないのだろう。
文書作法やビジネス関連のあれこれを教える人々ほど教え方ができていなくても仕方ない。
丸の次は四角、四角の次は三角。
練習中に少しずつ聞こえてきたレイアウトの基本(雑談の狭間に少々)を意識しつつ四角を描く。
描き直した丸たちと新しく描いた四角たちに色を塗ったところで声を掛けられた。
見せると案の定、ダメ出し。
まあいい、聞きたいことだけ聞けばモトは取れるだろう。
問題は講義中のものすごい雑談なのだが……
郷に入っては?
近所の商店街は、割と店舗の入れ替わりが頻繁にある。
昭和の空気が色濃く残っているので潰れっぱなしかと思いきや、意外と新しいお店ができるのだ。
お気に入りの八百屋の向かいでは、ケーキ屋が年末に潰れたが春にまたできた。
去年いたほうの店はついぞ利用しなかったが、気が向いたので新しい店を覗いてみると…。
覗くまでもなく、通路(一応公道)にショーケースからレジまで張り出している。
かつて店舗として利用されていた空間には厨房器具がぎっしりで工場のような有様。
いわゆる生ケーキは扱わず、菓子パンとケーキの中間にありそうなドーナツやらデニッシュやらが主力。
そのせいか商品単価が面白いほど低い。前の店の三割程度だ。
しかも店主と思しき男性が気軽に接客している。
土日680円と書かれたロールケーキが目に入ったので「これって週末だけこの値段なのかしら」と呟くと「あ、それ当面はその値段ですよ」とすかさず返事。
曰く1000個ぐらい売れてから「本来の値段」にするのだそうだ。
そんなことを軽く話してくれる気さくさが、商店街の空気とよくなじんでいる。
「スイーツショップ路面店」ではなく「商店街の洋菓子屋」なのだ。
これは長生きできそうな感じだね、と帰りにダンナと話していたら
「不法占拠ありきなのかな」と。言われてみれば何となくそんな気もする。
商店街の営業時間中は自動車が入れないので、路面占拠は普通に行われていて違和感がない。
杓子定規に法令遵守で店内で売っていたのでは客が付かないのでは…ってそれでいいのか?