コピー不可

パソコンが作業中であろうとなかろうと、他の用事は次々と発生する。
何の気なしにメールの返事を書こうとしてふと違和感に指を止めた。
……そういえばクリップボードは使用中だ。コピーも切り取りもできない。
間が悪く割り込んでしまったらデータベースに関係ない通信文が……
そしていかに普段コピーやら切り取りやらを多用していたかに気づく。
意識したこともないぐらい日常的に使っていたからこその不自由と違和感。
やはり作業中のパソコンは他の用途に使えないのか、とほほ。
#とはいえ他の機能はほぼ普通に使えている。3歳ながら働き者!

ぼーぼーどり

夕飯は何を食べたいかとダンナに訊くと、「ぼーぼーどり」との答え。
私「ぼーぼーどり?……からかってる?」
ダンナ「読み方が思い出せないけど、ぼーぼーどり」
私「棒棒鶏?……どんな食べ物か解ってて言ってる?」
ダンナ「鶏肉ときゅうりの細切りのやつ」
私「合ってるな、それで。でも棒棒鶏って胡麻味噌だよ?」
ダンナ「ごまだったっけ?」
私「……じゃあタレだけドレッシングにする?蒸し鶏サラダ?」
ダンナ「じゃあそれで」
ここで冷やし中華の材料が一式ありながらハムだけないことを思い出す。
半強制的に「蒸し鶏の冷やし中華」で交渉妥結。

未来からの手紙

普段は1時間ごとにメールチェックをしているので、
何事もない限りは4時に読んでいるメールは当日3時台までのものである。
が、さきほど1通「8月8日午前1時」のものが入ってきた。
「ストレスチェックをしてみませんか」
そして本文は
「あなたは自分に対して不信感や罪悪感を感じていませんか。」
自分より何か見えないシステムに不信感を禁じえないのだが。

待てない人

山手線に乗って間もなく、車内放送が入った。
後続の電車で急病人が出たので、時間調整をするとのこと。
次の駅で停車時間を延ばし、16分発にすると案内された。
さて、駅に着くと。降りる人がいるわいるわ。
乗っていた人の6割ほどが京浜東北線に乗り換えていた。
確かに京浜東北線は乗り換え後すぐに発車したのだが、
時計を見ると14分。
2分足らずが待てない人がざっと6割。
空いた車内は冷房の効きがよくなり快適だった。
私は何分の差が出たら乗り換えたのだろうか、自分でも首をかしげる。
通常の運転間隔を超える待ち時間あたりが境界線だとすると、
それでも5分以内なら待つことを選んだと思う。
1分を争う急用があるわけでもないし、あっても……。

新橋

日比谷図書館へ言語学の本を借りに行った。
図書館を囲む公園では既に蝉の声が。
こんな都会にこんな緑があるとは、と行く度に思う。
行きも帰りも新橋駅を利用したのだが。
新橋の街は滅多に来ないが、相変わらずでほっとする。
ごちゃごちゃしていて、どこかオヤジ臭くて、特に魅力的ではない。
しかし新宿やら渋谷やらには感じられない落ち着きのような何かがある。
現実だけが目の前に転がっている感じとでも言うべきだろうか。
飛躍した夢のようなものが辺りに見当たらない。
夢、ありゃいいってものでもないのかも。
そんなことをふと思った。

究極豚丼

勤務先の近くに、「究極豚丼」なるものを食べさせる店がある。
前から気になっていたので、職場の人を誘って試しに行ってみた。
昼どき、しかも結構な雨なので非常に込み合っていたのは同情に値する。
しかし注文を後回しにするのはどうなんだ。本末転倒ではなかろうか。
「すみません!」と声を上げたのは当方。女性。
なのに店員は我々の後ろを素通りして隣の男性客の注文をとり始めた。
隣の男性客は私がお茶を飲み干してから入ってきた二人組である。
「いくらなんでもそれはないんでないの?」と思わずそのまんま言ってしまった。
しばらくして、何事もなかったように同じ店員が注文をとりに来た。
豚丼は一種類しかなく、味噌汁だけ二種類から選べるようだ。
私「豚丼を豚汁で」
職場の人「私も同じものを」
店員「究極の豚丼でよろしいでしょうか」究極のと言わないのが気に入らない素振り。
……おねいさん、そんなものこの店にないぞよ。
「の」が余計だ。
間違うぐらいなら訂正しないでいただきたい。2点減点。(満点は不明)

いきなりすぎる人

仕事ではよく結論が見えない話ばかりする人にいらだったりするものだが、
全く唐突に要件本文から話し出されても困惑するものだと知った。
帰宅の途中、駅の改札を出て少し歩いたところ。
ものすごい勢いで見知らぬ人から話しかけられた。
最初、全く何を言っているのか分からず、何だか怖いのでさっと無視すると
また同じ音節を畳み掛けてくる。
何秒か考えてやっと、彼の言いたかったことに察しがついた。
某駅に行くためのホームがわからないらしい。
「一番あっちの突き当たりにあるホームですよ」と教えると
「何だ、階段おりんのけぇ」とそのままの勢いで彼は去っていった。
ひどく訛っていたうえに呼びかけの間投詞がなかったので、
私に道を聞いているとは分からなかった。
教えてもらって「ありがとう」、がないのはまだしも(失礼ではあるが)
話しかけるときの「すみません」なりせめて「ちょっと」ぐらいは欲しかった。
純粋な機能として挨拶が必要なときがあるのだとは、少し驚きである。

母来たる

明日から台湾旅行。母とダンナが同行する。
成田午前発の便なので私の田舎から当日合流はほぼ無理、
ということでゲストルームを確保し母に待機してもらうことに。
帰宅してみたら彼女はやや退屈そうにテレビを見ていたが
屋上に連れて行くと喜んで写真を撮りまくっていた。
人のことは言えないが、絵に描いたようなおのぼりさんぶりだった。

味なお年玉

たまに行く店で食材の買いだめをしたら、くじをもらった。
当たりが出たら商店街主催の現金つかみ取りに参加できるという。
開けてみると「アタリ」の文字。幸先がいい。
早速その足で商店街の催事場へ。
つかみ取り会場には抽選機(いわゆるガラガラ)の音が響いていた。
受付の人にくじを渡し、聞かれるままに利用店名を答える。
券が1枚なので挑戦できるのも1回である。
出た玉は「小吉」だった。
現金の満たされた箱は4つ。
大吉から末吉まであり、入っている硬貨の種類が違う。
「小吉」の箱には1円玉と5円玉だけが見えた。
つかみすぎて手が出せないと恥ずかしいので、
できるだけ5円玉が多くなるように選別しているつもりで一掴み。
係の人が差し出すつり銭トレイに置くと、番号札を渡された。
「あちらで換金をお待ちください」……換金?
トレイの行く先を目で追うと、現金計数機が控えていた。
待つこと十数秒、番号札と引き換えにレシートのようなものをもらう。
出口にいた人が「167円ですね」とその紙を回収した。
「ではこちらで。200円が入っておりますので」
もらったポチ袋には「お年玉」と商店街の名前があった。
流石に1円玉と5円玉をそのまま渡しはしないのか、と感心。
さらにキリのいい100円単位に切り上げたことにも感心。
現金つかみ取りの常なのかもしれないが、かなり気分がよかった。

そして灯は消えた

先週、近所の弁当屋に初めて行ってみた。
夕飯時だというのに価格表は「品切れ」だらけ。
どうしたのだろうと思っていたら、貼り紙を見つけた。
入居している建物が取り壊しになるため翌日閉店だという。
貼り紙には移転先も仮店舗も記されていない。
案内されている近隣店舗は一駅も離れた隣町だった。
ともあれ弁当を注文すると、
「5分ほどいただきますがよろしいでしょうか」とうまい日本語が返ってきた。
中華圏の日本語旅行代理店で聞くのより数段きれいな日本語だ。
澄んだ声の彼女が厨房に注文を通す。
奥からは揚げ物の音だけが聞こえてきた。
数分後。
「大変お待たせいたしました」と厨房の人が出てきた。
レジ係の彼女には劣るが、やはりきれいな日本語だった。
……名札にあるのは中華圏の人名である。
前から店長一人、アルバイト一人だったそうだ。
湯気の立つできたての弁当を受け取り、料金を渡す。
チェーン店だからなのだろう、二人で千円もかからなかった。
「ありがとうございました」の声に送られて店を出る。
そこに「またお越しください」との続きはない。
なんだか自分が搾取しているような気分になった。
何か悪いことをしてしまったような切なさ。
少なくとも今の自分にはどうすることもできないのだが、このやるせなさはどう解決したものだろう。