miscellaneous という単語が無意味に好きだ。
響きがmysterious に似ているし、それでいて意味が「雑多な、その他の」だったりする。
何かありそうでいて何もない空っぽさがたまらない。
内向的すぎて学生時代にバンドを組む夢は自滅させてしまった私だが、
今なら間違いなくバンド名はmiscellaneous にすると思う。
#ピアノとベースがちょこっと弾けます。もう持ってませんが。
Tstreamなる代物
某翻訳会社から「明日Tstream指定案件が来るんだけど、できる?」と引き合いがあった。
Tstreamなんて聞いたこともないが、TRADOSの類似品らしい。
聞いたこともないソフトをいきなり本番案件で使うのはリスクが高すぎるので
「対応ファイルが使えないから」と断った。
数時間後「は~いみんな、Tstreamの説明書だよぉ」って……。
どうも同じ対応をした翻訳者が複数いたらしい。
その説明書とやらが示すリンク先を見ると、無料とも有料とも書いていない。
どうも個人翻訳者が使うソフトは課金しないようだ。
それにしても何となくあちこちが怪しいので、ダウンロードする勇気が出ない。
ただでさえこの手のソフトは特定バージョンの.NETだとかJAVAランタイムだとか要求が多くて面倒なのだ。
うっかり新しいものを入れて今の環境が潰れたらという心配がどうしてもぬぐえない。
しかも「Tstream」と入れて検索しても説明文に出会えない。
何かのプログラミング言語で使われている単語らしく、ググれたものではなかった。
そんな名前を付ける時点でちょっと……
この時代の読む力
世間では「リテラシー」とか「情報リテラシー」とか呼ばれる能力がある。
横文字が嫌いなので言い換え表現を見つけたいところだが、仮に「読む力」としてみよう。
とほく昭和のおほん時には、「読む力」は「書いてあることを誤解なく読み取る力」だった気がする。
それが誰でもこうして発言を公表できるこのご時世でも同じように通用するだろうか?
誰もが好きに文を書き殴り、そのまま晒している状態では、目に見える文意が事実とは限らない。
Wikipediaの記述を丸呑みして論文に引用することの是非はよく論じられているが、他の場合でも全く同じことが起きている。
新聞だって誤報だったり意図的な編集による偏りがついていたりする。
それ自体は何紙分か並べてみれば何となく理解することはできるだろうが、一般にそんな暇があるだろうか?
人の発言が本当、事実、真実であるとは限らない。
ある意味では常識かもしれないが、それは本当なのだろうか。
情報の整理、取捨選択、時には実用上の妥協点を探る作業までができて「読む」ことができたことになる。
家庭、学校、(身の回りの)社会のいずれでも教わる機会はなかった気がするのだが、求められている気もする。
情報を「読む力」は実は、その情報そのものを「読む力」ではないのだろうと思えてならない。
一昔前に流行った「空気」、もう少し伝統的に言うところの「行間」を「読む」必要性を感じる。
何ともせちがらいことだ。
ブログの目的
最近、ブログを毎日更新するのが目標となっている。
読む人のことを考えると書けそうにないネタによく行き当たるのだが、考え出すと、このブログを書く目的がなんだったのか分からなくなる。
特に目的を持たなくても気軽に書ける、何かを発信できるというのがIT革命とやらなのかもしれないが。
実は大昔、まだ自分でHTTPタグを付けたファイルをFTPアップロードして更新していた頃には目的がはっきりしていた。
カテゴリ「異郷日記」として残してある一連の日記がその頃のものだが、目的は親や友人への生存報告だった。
12年も前(!)の上海は色々な意味で今ほどきれいな街ではなかったので、留学を認めてもらう条件として毎日の生存報告というのがあったのだ。
実際に、生存するのも思っていたより大変だった。詳しくは異郷日記をご参照されたし。
生存報告をするにあたり、
・電話ではいまいち保存性に欠ける。しかも高い。
・郵便では何日後に届くか分からないので「毎日」の意味を成さなくなる。
・自分がすでにインターネットを使っていた(わざわざプロバイダ契約する学生は少なかったと思う)。
ということで母にメールチェックの方法だけを無理やり覚えてもらい、直接連絡はメールでということにしたのだった。
多少は公開してもよさそうな話をホームページ上の日記に載せ、少数の友人知人に読んでもらっていた次第。
当時は体験すること全てが新鮮だったので「更新のための更新」はほとんどなかった。
時々メールで感想をもらったりすると得意になったりもしていた。
帰国後に「面白いからプリントして家族で読んだ」と某親戚に言われたときは流石に恥ずかしかったが。
年が経つにつれ、事物を新鮮に感じることも減ってきた。「書けそうにないこと」も増えてきた。
それでも何とかたらたらと続けている今の目的は、強いて言えば自己紹介かもしれない。
うれしい依頼
数年前JTF翻訳環境研究会で出会った人から中国語訳の引き合いをもらった。
#先週の会にも参加していながら、何故か互いに見つけ出せなかった。
レートを尋ねられたので心持ち安めに答えると、「それでは少なすぎます」とフォローしてくれた。
まぁ今回は量が少ないので料金の変動も知れているのだが、向こうから上げてくれるとはありがたい。
それ以上に、名刺交換が元で仕事に結びついた初の案件ということで感慨深いものがあった。
遠回り
月初に出荷指示を出したはずの国際小包がまだ届かない。
通常7~10日(それでも航空便にしては遅い)というのに倍ほどかかっている。
がんばって貨物追跡ページを発見したところ、照会結果は「北京の税関を通過」。
北京の税関……北京?
わざわざ上海から出荷したものを北京で税関にかけてるの?
そりゃ遅いはずだ。
しかも追跡ページには「クリスマスシーズンのため混雑により通常期より1~3週間の遅れ」とある。
ちょいと待て。3週間も遅れたら年が明けるっちゅうねん。
ごみ136件
起きてすぐメールチェックをすると、新着のブログコメント通知が画面を塞いでいた。
またかと思って開いてみると、案の定?どれも意味を成さない文字列のいわゆるスパムばかり。
個別には下品な意味を成す文字列よりましだと思えないでもないが、件数が……136件。
一件ずつ仕分け操作をしていたが、ふと「コメントの管理」画面があったことに気づく。
めでたく途中からは50件ずつの処理に成功。
難点は、一括でざくざく削っていると既存の(まともな)コメントも削除してしまいかねないことだ。
電話は苦手
昼間から固定電話が鳴った。平日にかかってくる電話は仕事関係が多い。
出てみると「上海から」中国語だった。
幸い聞き取りやすい発音をしてくれる人ではあったのだが、早口で目が回りそうになる。
脳内で逐次和訳していたら追いつきようがない。
最も肝心な「中文和訳」「納期は28日」だけ聞き取るのが精一杯だった。
中国語翻訳の仕事をしていると、よく初対面の人に「じゃあ中国語はぺらぺらなんですね」と言われるが、喋れたものではない。
厳密に言うと、中国(語圏)に足を踏み入れれば喋れる。旅行や買い物の用は足せる。
言語が問題なのではなく、電話で話すのが異常なほど苦手なのだ。
(日本企業に電話で問い合わせするのさえ苦痛でならない)
まして国際電話だと通信上の雑音も入り、難易度が高くなる。
二週連続で英語翻訳をしている人々にあれだけ会っておきながら、「英語ぺらぺらなんですか?」とは一人にさえ聞けなかった。
何となく敬意に欠ける気もするし、そういう雰囲気の場でもなく尻込みしてしまったのだが。
自分は聞かれることを相手には聞けない、というのはやはり修行で克服すべき弱点なのだろうか?
おこづかい半減
我が家は結婚当初から「おこづかい制」にしていないので、自分の所得は全額が勝手に使えるのだが。
私が「おこづかい」と呼んでいるのはカブドットコム証券の「貸株料」である。
純然たる不労所得なので「おこづかい」と呼んでいるのだが、見事に右肩下がりで笑ってしまう。
ここ半年で株式の売買は一件もしていないのに、貸株料が半減。
07/13 378円
08/17 339円
09/14 335円
10/13 304円
11/16 187円
12/14 170円
こうして並べてみると10月(9月分の貸株料)と翌月との差が大きい。
「この間って何かあったかな?」と思いつつも答えが出せない私は投資家にはなれそうにもない。
円高のような、JALショックのような……
どの株も株主優待が欲しくて買った銘柄なので、当分は売る予定がない。
売るつもりになったらさぞや青ざめるだろうなと他人事のように思っている。
貸株料は「銀行預金にしておいたらもらえる利子」ぐらいの認識だが、まあそれにしても不景気なこと。
名刺に出る個性
二週連続で人の集まる場に顔を出した結果、私ごときでも十数枚の名刺を頂くことができた。
まぁセミナーの講師を務めた方はそれも業務の一部ぐらいの認識だったかもしれないが。
会社や組織(から来た人)の名刺はさておき、フリーランスの皆さんの名刺が面白い。
A・名前と連絡先だけ
B・カラーのイメージ画像?
C・肩書きのごとく取り扱い分野を追記
D・裏面に取り扱い分野を列記
E・裏面に履歴書(!)
F・裏面に英語表記(しかもファーストネームが本名と違う)
私本人はCに類する名刺を使っている。
分野などあってないようなものなので「中国語翻訳」としか書いていないが。
それでも効果十分と言うべきか、名刺交換に応じてくれた人のほぼ全員に「へぇ中国語!」と反応された。
数年前は書いていなかった(Aの類だった)ので、書いて正解だったのかなとは思う。
むしろAの類は勿体ないなと感じるぐらいだ。
一対一で話す場面なら相手についてのメモをそこに書き込むとかいう方法もあるだろうが、交流会の中で渡し合う名刺に情報が少ないと、やはり印象が薄くなる。
ちなみにFの名刺をくれた人は一番それが似合わない外見の人だったのでよく覚えている。
恐らく商社かどこかで働いていたときの通称ではないだろうか。