疲れ目と肩こりは職業病だと決めつけていたのだが、直接の原因はパソコンにかじりつく姿勢だ。
仕事がある時はそれもやむなし。
しかし、ふと気づいてみると、仕事もないのにパソコンに張り付いている時間が長かった。
何ら生産的な活動をするでもなく、ついったーを覗いたりメールを待っていたりするだけの時間。
その上、仕事の打診がしばらく入らなかったりすると機嫌が悪くなるので始末が悪い。
これでは自分が昔から忌み嫌うテレビっ子と何ら変わらないではないか。
さりとて他にすべきこともしたいことも思い当たらない、とばかり何年を浪費したことだろう。
そもそも何のためメールを待っているのかというと、すぐに読んで返信するためだった。
考えてみると、すぐに読むという目的にはパソコンは要らないのだ。
携帯でも読めるように転送しておけば、仕事部屋どころか自宅を離れていても問題ない。
原稿が添付されていたりして携帯ではおぼつかない状況になって初めて着席すればいいのだ。
そんな簡単なことに気づいたのは、ごく最近のことだった。
外出時にはだいたい転送設定にしているのだが、それでほとんどの場合は事足りたのだ。
所用があったり散歩をしていたりする間は、特に意識してメールを待っているわけではない。
それでもちゃんと読むことはできるし、しかもメールが届けば携帯が鳴って知らせてくれる。
恥ずかしいほど些細なことだが、少し自由を得られた気がした。
そして、パソコンをしばらく離れてみると、特に何もしていなかったのだということに気づく。
何故そこまで執着していたのか全く見当も付かないほどだ。
勤めていた頃はいたずらに離席するわけにもいかなかったので多少の正当性もあった。
しかし自由業である今、そんな必要はないのだ。
やることさえきちんとやればよいのであって、規律も勤勉さも要求される謂われはない。
気分ごともう一回り自由になろう。
特にやりたいことがあるわけではないが、さしあたって散歩を楽しんでいる。