そして誰もいなくな…るのか?

ついったーを不特定多数が集まる公園に喩えたことがある。
誰もが適当につぶやいていて、何か気になればそこに反応する広場。
実際の広場と違うのは、つぶやきの「音量」に大小がないことだ。
自分が見ている限り、誰のつぶやきも同じ大きさで響いている。


だが、受け取る側で感じる濃淡は、やはりある。
気になっている人のつぶやきは真剣に追ってしまうし、自分への返信は大事なものに思う。
そうしていくうち、ゆるい仲間ができたり、ちょっとした友達が出来たりした…つもりだった。
なのに、そのみんながいない。
正しく云えば「みんな」ではなく、あの人とあの人がいない。
たった数人で、合計してもそれほどの件数にはならないのだが、いないと寂しくて堪らない。
他のみんながどれだけいても、声をかける気になれないでいる。
そして今いなくなっている人々も、似たような心境を抱えて去っていった。
うっすらとした居心地の悪さ、自分だけが場違いなような孤独感。
ついったーに参加する動機は人それぞれで、必ずしも交流だけではないはずだが。
だが、特定の交流が途切れたことで空いた穴は大きい。
画面を閉じても、家を出ても、その穴を塞ぐ術を見いだせずにいる。


ほんの一年前は覗きもしなかった世界。
半年前に熱病のように盛り上がり、冷めてきて訳が分からなくなった。
落ち着いた辺りで戻ろうと顔を出してみたら、戻るべきところなどなくなっていた。
そもそも二次元に居場所を求めること自体が不健全なのだろうが、ではどうしたらよいものか。
ついったーに触れる前の自分に戻れるかと言うと、分からない。
その頃の方が幸せだったろうとも思えないのだ。
自分が誰かに放り出されたのではなく、自分のいる世界から人が立ち去っただけのこと。
…留まる決断をしたわけでもないのに、ついて行くことができなかった。
彼らにとっての私は何だったのだろうと虚しく立ちつくしているだけ。
出て行こうとも思いながら、どこへ行けばいいのかも分からない。


心当たりのある方、ご連絡いただけると泣いて喜びます。

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