半端な公共性

ついったーのちょっとした書き込みを目にして朝からひどく傷ついた。
決して私への中傷ではなく、主義主張でもない。
文字通り一個人の「つぶやき」だったのだが、故に哀しかった。


一度ぐらいならまだしも、あれから半年たびたびこんな目に遭って嫌気が差してきた。
去っていった大切なひとも、恐らくこうして傷ついたのではと思う。
ことの裏表で、私の何気ない書き込みが誰かを傷つけていなければいいが。
何らかの動機で「この人の発言は見てみよう」と思った相手の発言しかないはずなのに。
広い世間一般から自分が切り抜いた部分集合であるにも関わらず、哀しい発言がある。
たった一言や二言で発言者の素性を推測するのは危険であり愚かだろうとは思う。
それでも「みんな」が見ているのに、と意識してしまうのは何故だろう。


相対的に「安全」な人たちだけ切り抜いて眺めるという方法も一応ある。
それでも自分が「加害者」になる危険性は避けられないのだが。
やはり私も見ず触れずが一番なのだろうか。
まだジンカンに耐えられる強さは身についていないのだろうか。

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