同根

午前中は老人ホームに伯父を見舞い、人間の最低限とは何か考えさせられた。
訪ねる予定だった伯母とは午後そのホームで邂逅。
居合わせた従姉との再会は十年ぶりぐらいになるだろうか。
私が見舞ったと伯父から聞いて電話をくれたのだそうだ。


伯父がそのホームに入居したことは母のブログで知っていたが、経緯は初めて聞いた。
ブログとは言え、公開する文章に載せるのは憚られて当然の事情だと思う。
伯父本人からその話は全く出なかったが、伯母の話に嘘はなさそうだ。
事実なのだろうが、嘘だろうと笑いそうになってしまったことも事実。
紆余曲折あって従姉夫妻も奔走し各人が大変だったろうとは思うが、ひとまず落ち着いていた。
恐らく、落ち着いてからでないと誰も私にまで打ち明けてはくれなかっただろう。
それほど重く馬鹿げた事実だった。


ホームは私の実家にほど近いため、二人に立ち寄ってもらうことになった。
ことの概要や入居関連の資料など紹介しつつ早口で並べ立てる従姉。
計画の立て方、予定の詰め方、こなし方のちょっとした文脈に血のようなものを感じた。
無論、道義の通し方や立ち回りでは全く及ばない。
しかし視点や口ぶりといった捨象の仕方がどうも同じように感じるのだ。
自分はこの人の妹分なのだ、その辺りに根があるのだと。
少し離れた席から向けられた家人の視線もそれを肯定しているようだった。
ま、そういうことです。
従姉には憧れているし似てもいるが、目指す姿ではないことも認識した。
たいした時間ではなかったが、会えてよかったと思う。

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