それも現実

見ず知らずの人のつぶやきに傷ついた。
自分はああいう言動をするまい。
しかしあるいは、より人を傷つけているのだろうか。


ついったーを眺めていると、たまに見たくないものが目に入る。
基本的には自分が興味を持つ発信元のつぶやきしか表示されていないのだが、
第三者の発言の転送や引用となると止められないものがある。
引用した人もされた人も、特に誰かを攻撃する意図はなかったであろう。
それでも、一つの数字とその感想だけで、私は十分に傷ついた。
捨象のされすぎなのは冷静になるまでもなく明らかだ。
そしてそういうどうでもいいものをいいように解釈できず、そっと流せない私が悪いことも。
見なければよかろうに、と自分でも思う。
わざわざ役にも立たないものに目を通したばかりに傷つくのは不合理だと。
さりとて、面白い話題も優しい人もいくらでも集まっている空間なのだ。
特定できない「何か」を求めているから覗いているという自覚のようなものはある。
ここで閉ざしてはいけない、という声がやまない。
自分で編集した世界にすら耐えられず、外界を歩けるわけがないではないかと。
どのみち外界などというものも自分の編集した結果の一種にすぎないのだが。
恐らくはそこから弾き出されることが怖いだけなのだ。
「そこ」が何処なのかなど分からない。
多分、ここだ。

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