大阪の友人と午後からちょいとドライブのはずが、帰宅したらこんな時間。
和食屋に追い出されなかったので長居していたら蛍の光が聞こえてきた次第。
時間を忘れるとはこういうことなのだろうが、流石に家族には申し訳ない。
私と親しい時点で変わり者なのはともかく、話し込む内容が他の相手とまるで違う。
かなり深刻な話を、こともなげに話す人なのだ。
それでいて聞いているこちらも暗くはならないし、彼女も笑顔のままという不思議。
互いに気を許している証左か。
引っ越してばたばたするとは聞いていたが、それどころでなく色々あったようだ。
よくもまあ今日まで愚痴もこぼさず耐え凌いでいたものだと感心する。
「自分が冷たいんで」どこかで聞いたような、むしろ自分が口にしたような台詞。
その時だけ目の色が変わる。
同じ色に。
そういうことだったのか、と勝手に合点した。
慰め合うわけでもなければ、激励し合うわけでもない。
割に淡々と近況を報告するだけで、半日以上が簡単に過ぎた。
「こんなこと、おいそれと話せませんからね」それはそうだろう。
並べられる事実の深刻さにどう反応を返したものか考えつかないのだから。
ただ、そうして単純に聞いているだけなのが気に入っているらしい。
遮りも流しもせず、同情さえ見せずただ聞いているだけ。
それならば人間相手に語るまでもなかろうにと呆れる人もいよう。
少し前に流行った傾聴なるものとは似てもにつかない。
そういう目的で向き合っているわけではないので当然ではあるが。
勤めている店が閉まるその際になったら見せようかな、と晒した傷の数は分からない。
隠す強さ、さらけ出す強さ、両方を身につけているのだなと感じた。
泣いてもいいのに、とは言えなかったが。