みんな板挟み

「私自身も日中友好を望んでいる一人です」と書かれた打診のメール。
差出人はなじみの担当者だが、無論こんな挨拶をよこしたことはない。
つまりそれだけ、少なくとも私の周辺では、あの問題を気にかけている人がいる。


中日友好の作文コンクール優秀作品は、ここ数年の定期案件だった。
各回の分量はさほどないものの、依頼元が気に入ってくれているという貴重な仕事だ。
それがこの秋から滞っていたのだが、理由は聞くまでもなかった。
コンクールのテーマは中日友好なのだが、書き手は様々なことを書いてくる。
悪意はないのだろうに日本人の逆鱗に触れかねない内容も多々あった。
隣人という名の他人の意見。
更新され肥大し続ける被害者意識。
そして(特定の)日本人が好きだからこそ陥る当惑。
仕事と無関係に書く素人は、ゆえに書き方も内容も勝手で容赦ない。
それをどう、日中友好に関心を寄せているであろう日本人に読んでもらおうか。
明文化はできないが確たる方針はある。
また発注側もそこを見込んでよこしているに相違ない。
これまでずっと請けてきた経緯がある。
恐らく私よりずっと上手な人であっても他人にはできない仕事だろう。
そう自分に言い聞かせて苦しみつつ訳した。
原文に目を通すだけで涙やら怒りやらがこみ上げた。
あるいは機械的に正確に訳すのがプロの仕事なのかもしれない。
それでも、少なくとも本件だけは、そうしてはならないと信じている。
訳している自分だけでなく、書き手もそれを読ませようとする主催者も板挟み。
苦しい中で、それでも希望を見出そうとしているはずだから。

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