今日の「互相学習」には一時間しかかからなかった。毎週の恒例ではあるが、暇になる。
昨日の子に「添削するから何か書いて」と言われたのを思い出し、作文を書くこと一時間半。
貸してもらった「青年文摘」なる雑誌を適当に眺めるが、思想がかっていていまいち面白くない。
TVも再放送だらけ。かと云って今から昼寝をしてしまうと夜よく眠れない。
ふと気が向いて「辨公室実用口才」の本を手に取る。安いので買ってみた実用書だ。
弁舌による現代の処世術を説いた本らしいのだが、何故か表紙写真はダウンタウンの顔。
思わずブックカバーを裏返しにかけなおして糊で貼り付けてしまった。
前書きは買った時に読んだのだが、知らない単語が多いので本文は見ていなかった。
いちいち辞書を引くのも気分を害するので後回し、ということにしてしまっていたのだ。
だが改めて見てみると別に難しい単語もないし、文の構造も複雑ではない。
どうやら多少は授業の御利益が現れてきたようである。ちょっと嬉しくなった。
時間は読破できるほどあるのだが、考えながら読んでいるせいか目が妙に疲れる。
とりあえず第一章「耳は口の師である」だけ読み干したので、残りの実践編は後日のお楽しみ。
またもや停電。電話まで停まるなんて聞いてないぞ!
水曜頃に出された通知では、今日の早朝五時半から夕方六時半まで停電になるらしい。
則ち電熱器のお湯がもらえないことになるので昨日から熱湯は汲み置いて待機していた。
実際のところ何時から停電が始まったのかは判らないが、かなり早かったらしい。
八時に会客室へ行くと受付台には数本ろうそくが立ててあった。何だか不気味。
できるだけ明るい窓辺を選んで座り、今日の「互相学習」にいそしむしかなかった。
十時半に部屋へ戻り、まだメールチェックをしていないことに気づく。
昨日のうちにバッテリーの充電は済ませてあるから停電は関係ないはずだ。
が、いざ接続を試みると「発信音が聞こえません」の表示。とりあえず電話線を確認する。
どう見てもちゃんとつながっている。まさかと思い電話の受話器をとってみると、何の音もしない!
停電は知っていたが、電話まで停まるとは思いもよらなかった。愕然とする。
今日の午前中に書いたメールが送信できたのは午後四時をまわってからだった。
それでも私はまめに電気が来ているか確認していたから四時で済んだのだ。
きっと中には通知を鵜呑みにして六時半まで耐え忍んでいる人もいるに違いない。
今更ながら農林局へ。しかしそれでもまだ早かった。
稀少動物インドニシキヘビの皮を張った胡弓の持ち出しには農林局の何がしかの証明が要るらしい。
買った時その説明を受けたのだが「まだ喋れないから」とばかり今日まで行っていなかった。
農林局の事務所は日本領事館より更に奥まったところにあるので交通も不便である。
タクシーを拾うと懐が大打撃を受けるのでバスで行こうと思い、しばらく地図とにらめっこ。
バスで行くには市街地を十分ほど歩かねばならない。どうせなら寒くない方が得か?
今日は幸い陽射しがあってぬくいので、寒くならないうちに行かねばと思い立って出かけたはいいが…..。
手持の地図には農林局どころか地区の範囲すらまともに書いていない。
最初はそれが心配だったが、何のことはない。バス停から見えるところに農林局があるではないか。
但し見えるだけで近いとは言えないのが本当のところ。何かの工事中で道なき道を歩くはめに。
こわれものの楽器を抱え、”命の次に”大事なパスポートまで持って、何が哀しくてこんな田舎道を!
しかも当然のことながら目立つ荷物を抱えているのでやたらと通行人の好奇の目を浴びる。
かれこれ出発から二時間ほどで農林局に到着。警備員らしきおっちゃんに呼び止められる。
農林局そのものの正面からは目的地「野生動物保護処」には入れないという。
「この建物の背面に回れ」と教えてもらったので軒下の道を二分ほど歩いてみた。
すると豪華なプレハブよろしい白塗りの小さな部屋がぽつねんと置いてあり、内外に人がいる。
私の姿を認めるなり戸口のおばさんが「どうぞ中へ」と愛想よく勧めてくれた。
いざ、入る。ほぼ全員に「歓迎、歓迎」と言われ不思議な気分。でも感じはいい。
大きな事務机の前のおばさんが「きっと日本からのお客さんね、多いんですよ」と椅子を引いてくれた。
郊外にそぐわず割と綺麗な標準語だったので苦にすることもなく受答えができたが、
ちゃんと日本語要員もいたので更にびっくり。何ていたれりつくせりな役所なんだ!
差し出された書類に指示どおり名前と利用空港を書きこんだところで帰国日を質問される。
来年の一月末だと答えると、おばさんは「じゃあ駄目」と苦笑しながら書類をとりあげた。
理由を聞き出すのにやや暇をかいたが、出国の三日前からしか証明手続は受けつけないとのこと。
寒くなってから来るのは確かに億劫だが、ここにならいいかとおとなしく引き下がる。
冬服を探しに近場の百貨店めぐり。ない!
当地は食費が安いのでてっきり物価も安いものかと思っていたが、間違いだった。
高い物も存在する(失礼ながらショック)!よりによって服飾品が日本なみに高いのだ。
較べてみよう:うるち米5kg=45元/飾りのないセーター1枚=定価160元。
U-RIGHTなるカジュアル店ですらこれだけ取る。まして百貨店は推して知るべし。
しかも何故か(当地で流行っているものらしいが)特定の型しか売っていない!
聞くところによると中国人は日本人ほど寒がりではないので厚手の服を余り必要としないそうだが、
それにしても綿リブニットのぴったり服なんて春物なんぢゃないのか?!
結局まともな服は買うのを諦め、中に着るものだけを特売場で買う。
ついでに驚き。日本では1~2万するスーツケースが定価300元弱で並んでいる。
何で服一枚よりごつい鞄の方が安いのか、はなはだ不可解に感じた。
安い物はやっぱり安いのだ。しかしどこからこんな差が出てくるもんなんだろう。
急に寒くなった気が…..週明けからのはずなのに。
今週に入った途端、先週までの穏やかさが嘘のようになくなってしまった。
ニュースで「寒潮急襲」なんて騒いだかと思うと本当に一日で十度も下がったのだ。
ここ三日間の最高気温は日曜の最低気温にも及ばない。何てやくざな天気だ!
しかし流石は中国、上には上が下には下がちゃんとある。天気予報を見て納得。
香港のあたりは二十度を割るのが珍しいぐらいだし、北京より北に行くと零度もない。
ここって暖かい方なのか?そうでもないのか?各地の差がありすぎて逆にぴんと来ない。
寒いと物が腐らないのは有難いが、切る物に困るのはかなり切実な問題である。
今からセーターを重ね着してしまったら更に冷えてから何を着たらいいのか判らないし、
かといって綿ブラウスにカーディガンぐらいでは既にどこにも追いつかない。
これでも寒くないなぞと抜かして暖房をつけない上海の人々って一体…..。
本学の「互相」の子を他人に紹介することになる。私が商談?
中国語を安く教えてくれる人がほしい、などと知りあいに頼まれて一週間ほどになる。
いわゆる家庭教師のような存在には二種類あって、私の利用している「互相」は無償で教えあうが
お金を払って一方的に勉強を教わる「補導」というのも現地の学生に頼めるのだ。
彼が探しているのは後者であって、あえて日本語を使う気はないから安く済む子を、というのが
条件であることは聞いていた。いわく相場は相手の年齢(学歴?)に比例して釣り上がるらしい。
だから低学年の子を希望するが、逆に共通(一般教養)科目の多い彼等はつかまえにくいと。
幸か不幸か私の「互相」の子がちょうど一年生だったので交渉しようという話なのだ。
果たして今日は約束の日なので彼女がやってきた。会客室が混んでいるため入口の椅子で妥協する。
授業の内容で聞くべきことも特別なかったので冒頭から問題の件をもちかけてみた。
誰か時間に余裕のある知りあいはないか打診してくれと頼んでみたのだが、無理らしい。
その辺で同様に「互相学習」している友達をいちいちつかまえて聞いてくれたのだが駄目だった。
別にそれならそれで私は構わないと言ったのだが、彼女は自分が引き受けてもいいという。
他の子に時間を割くのが私にとって不快でないといいが、などと気を遣ってさえくれた。
それはそれ(彼女にとっては小遣い稼ぎ)、これはこれ(お互いの勉強)だろう。
かくして商談は成立してしまったらしい。両者を引き合わせるのは今度の土曜日。
我々の「互相」にあわせて面会だけすませておこうかということで。
果たしてもらえた新しい教科書!でも感慨はなし。
二科目も自信の持てない科目があったので昇段できるかどうか心配だったが、
授業に出てみたら新しい教科書を渡された(というより配られた)。
安心はしたが、誰も落ちていないので幻滅。何だ、甘いテストだったのか。
さらに私をつけあがらせてしまったのは先々週の”総合考試”の成績。
先生が「教卓においておくから勝手にごらん」とばかりクラスの成績一覧を置いていった。
各人が自分の点数を見られるのは問題発見のためにいいだろうが、他人のものは…..。
とりあえずクラスで一番の成績だったが、騒がれて逆に嬉しくなくなった。
余所のクラスの成績が判らない以上どれだけの位置かなんて知れたものではない。
ともあれ二人で昇段できたということで(とこじつけて)、師匠とケーキを買う。
昼から贅沢な物を食べてしまうと一週間が終った気分になってしまうのは何故だろう。
旅の疲れか気疲れか、まるで動けず。日曜でよかった。
いつも目覚ましより早く六時には起きられる私が、今日は八時までぐっすり寝ていた。
まだ起きたくないとも思いつつ、荷物の片付けやら洗濯やら旅の後始末が残っている。
昨日は始末どころか着替えさえせずに倒れ込んで寝てしまったのだ。
分厚い上着も汚れたので洗わねばならないし、遅くなってはいけない。
乾かないのはもとより、午後にはいつもの通り財経の子が来ることになっている。
用事は午前中に済ませないと…..頭も瞼も重いまま、掃除そして洗濯。
一段落して手持資金を確かめる頃には、もう十一時になりなんとしていた。
午後がんばって「互相学習」。色々と旅の体験談などを話す。でもほとんど日本語。
教科書の内容を説明してもらう時ちょっと中国語が入ったかな程度のものだった。
それだけ財経の彼女は日本語がうまい。こういう時には安心してしまう(苦笑)。
そして帰るなり爆睡、夜まで目覚めず。どっか壊れてんのか?私…..
紹興を見に行ったのやら、日本人を見せに行ったのやら。
於:杭州→紹興→杭州
友好飯店を足場に日帰りの形で紹興を一日観光。思っていたよりも田舎だった。
前回もそうだったが、田舎人には外国人が珍しいようである。まして女二人。
駅の改札から切符売場に行くまでのわずか十数mで現地人に取り囲まれた。
地図を売り付けたいようなので師匠が値段を聞くと、ぼってくる。定価より三割も高い。
馬鹿にされてはたまらないとばかり「要らん」と吐き捨てて通過すると爺さんがついてきた。
いわく、「日本人は金持ちなんだから俺達に飯を食わせろ」。ふざけるな!
しかもその声がやかましいので他の観光客にまで注目を浴びる。恥かしい。
私が杭州に帰る切符を買っている間に師匠が他のおっちゃんから地図を買ったので事態は更に悪化。
切符売場の隅っこでそのおっちゃんと爺さんが大声で怒鳴りあいを始めてしまった。
しまいに良識ある(?)中国人観光客が「中国人として外来のお客に恥ずかしくないのか」と参戦。
何故かそのままごちゃごちゃ言い合いながら彼等は去っていった。唖然。
駅を出て最初に行ったのは王羲之で有名な「蘭亭」。バス停そばなのはいいが、バスがない!
止む無くタクシーで移動。舟遊びのできる東湖公園までへの道も同じ車に乗った。
道はたいがいだったが蘭亭そのものが古き良き中国の伝統を伝えてくれるので許す。
池のある庭に丹塗の四阿が映えて、時が止まったような静けさを感じさせた。
公園から陸游の詩にある「沈園」までへは運河を走る足こぎ船で移動。またもぼられる。
最初八十元と言われたのを頑張って交渉して六十まで下げさせることに成功。
船着場のおっちゃんがどぎつい江南なまりだったので会話そのものだけで疲れた。
しかし乗っている間に一人十元のチップを取られ、やられた気分。結局おっちゃんの言い値…..。
ケチで通している我々としたことが…..。
うまくいきすぎ。何か罠でもあるのか?
於:上海→杭州
午前中に最後の試験を終え、午後三時頃にタクシーで寮を出発。
待合室で一時間半ほど過ごしエスカレーターで上海駅のホームへ向かう。
のこり数歩のところでエスカレーターがいきなり停まり、のっけから驚く。
五時前発の旅游列車なる観光向きの電車を拾うと、杭州には七時頃に着く。
ものの本には四時間ぐらいかかると書いてあるのだが、ノンストップ便のせいなのか速い。
テストの感想やら名物料理やらの話をしている間に着いてしまった、…..のは杭州”東”駅。
師匠が持ってきた本には「杭州駅」しか書いていない。杭州”東”駅ってどこなんだ?!
ともあれ下車してすぐ、明日の目的地・紹興までの切符を買うのが最大の急務である。
というのは前回の鎮江駅では切符売場が見つけられずホテルを通してしか買えなかったからだ。
しかもホテルならどこでも切符の手配をしてくれるとは限らないのであてにはできない。
しかし幸いこの駅は観光客に慣れているらしく切符売場までの案内板がちゃんとあり、看板も特大だった。
念のために欲しい切符の種類から枚数までは細かくメモしておいたので、窓口の人にそのまんま渡す。
辺りがうるさくて喋っても相手に聞こえないようだったからである。
無事に八時発の軟座を二枚連番で入手。下手にホテルを通して買うよりよかった。
現地の地図を即座に買い、今いる東駅の位置を確認。幹線は元々ここで、杭州駅は地方線の駅らしい。
ただ本にある地図は間違いなく杭州駅を基準に描いてあるので、少々ややこしいことになった。
拾えるはずのバスが別な路線の駅から出るというのでは全く便宜性がない。
止む無くタクシーを拾うことになったが、乗り場は分かりやすい場所でかつ整然としており一安心。
乗り場が遠い上海や悪質な客引きだらけの蘇州よりはるかにいい。
今度のホテル「杭州友好飯店」は日中合弁なので日本料理屋が一階に入っている。
名物料理は明日に回そうということで、天ぷら定食をとった。げに二ヶ月ぶりの日本食。
素材はピーマンやら人参やらあってやや奇妙だったものの、揚げたてだったので美味だった。
部屋で明日の日程について相談。紹興観光から戻って余裕があれば杭州名物料理で夕食。
行けない可能性もあった紹興への切符が買えたとあって、朝に弱い師匠が五時半に起きると宣言。
五時半になら私は起きられるはずだが保険がてらモーニングコールを頼む。
